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【大川さとうベネック】の行く末~大義の変節(4)
コダマの核心
2012年7月12日 13:20

【ネクスト・キャピタル・パートナーズは不動産屋と同様の企業転がし屋】(中)

<第1組閣は危うかった>
 前半のスタートはスムーズにはいかなかった。第1次内閣は脆かった。立石氏も泡食った時期があったのではないか!!第1次内閣はさとうベネックの生え抜き・堀誠氏を社長に据えて運営を図った。前記した3代目社長に佐藤恭司氏が就任した。この時点から堀氏は3代目育成の担当役を任されていた。それだけ経営陣から期待されていた人材であった。後輩たちは堀氏のことを「面倒見がよく決してぶれずに筋を通す逸材」と絶賛する。

 堀氏は、計数・総務という経営マネジャーのプロとして辣腕を振るってきた。金融機関、とくに主力銀行であった大分銀行には絶大なる信用を得ていた。N社が乗り込む以前の金融支援網が敷かれていた際にはこの堀氏が1人で取り仕切っていたようだ。営業・技術・土木の各戦線には堀氏の同世代の幹部層が控えていた。だからある意味ではN社が口出す余地のない組織レベルであった。

 だがN社としてはできる限りデベロッパーの仕事を敬遠するように指導していた。「資金の立て替えはしなくてはならない。相手はいつ潰れるかわからないリスクを抱えている」。経営原則から逸脱しているから早く中止をさせたいのだが、現実はそうはいかない。何事にも、過去の経緯がある。継続工事・従来の顧客を中断するわけにはいかなかったのだ。

 ところが恐れていた事態が生じた。2008年10月に康和地所(東京)に5億円からの焦げ付きが発生した。リーマン・ショックの影響を受けて栄泉不動産(大阪・09年1月)、日本綜合地所(東京・同年2月)と相次いで不良債権のパンチを浴びた。立石氏は「そらみたことか!!」と後悔した。「このままでは企業再生は失敗する」と覚悟を決めた。第1次内閣のメンバーの一掃を決断したのだ。

 可哀そうなのは堀氏である。責任の詰め腹を切らされる形で退任をさせられた。堀氏につながる幹部たちの大半は会社を離れた。N社が乗り込む前の金融支援体制が組まれる時点でも佐藤一族が放逐され旧幹部たちも追いだされた。だから堀氏を中心に当時の中堅幹部で第1期政権が組織されたのである。そのさとうベネックの気質を体現していたメンバーが淘汰されて第1期の再生実験は終わった。

 お別れ取材の席で堀氏の悔しい思いが痛いように判った。筆者はここで決めた。「いつの日か、社員たちで自力経営のできる環境を得る手助けをしたいものだ」と。「7億か8億か知らないが、その程度の資金をだしたN社が今後、さとうベネックを再生させて不動産売買の如く転売させて堪るものか!!」と誓った。その後に第2次内閣が組閣されるがメンバーは第2軍クラスで構成された。社内のだれもが「紫原氏は社長の器量ではない」と認識していたが、「成り手がいなかったから社長に選ばれた」(紫原氏の弁)となる。

 N社にとってみれば理想の再生プログラムを展開できるようになる。次の経営陣たちには実直かつ従順なメンバーであったからだ。その筆頭が紫原利典社長であったのだ。皮肉なもので紫原新社長がN社の救世主になるのである。

(つづく)

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