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求め続ける「本質」と「存在意義」(前)~(株)システムソフト 代表取締役社長 吉尾 春樹 氏
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2013年3月15日 13:15

 福岡市に本社を構えるソフトメーカーの(株)システムソフト。昔からPCを触っていた者であれば、「ロードランナー」などの名作ゲームを世に送り出した同社を知らぬ者はいないだろう。ゲーム開発から出発し、現在では企業の業務システム開発に携わる同社代表取締役社長・吉尾春樹氏に、今後の戦略とIT業界の展望についてうかがった。

(聞き手:弊社代表・児玉 直)

<PC黎明期に発足、時代とともに変化を遂げる>
 ――昨年、今年と、子会社の取得や合併などがあり、ますます勢いに乗っているようですね。

 吉尾 従来は開発者主体の陣容だったのですが、マーケティングというか提案力の強い会社と一緒になったことで、今期は業績倍増を見込んでいます。企業文化の違いもありますから合併後はいろいろな課題も出てくるのですが、今は対話をしながら互いの文化を理解し合う段階を踏んでいますね。

 ――合併に関する詳しい内容は後ほどお聞きするとして、以前と比べると御社の業務内容が大きく変わっていますね。御社をご存じない読者のためにも、簡単な流れをご説明ください。

yosio.jpg 吉尾 ご存知かもしれませんが、弊社が設立された1979年9月はNECからPC8001が発売された時期でして、パーソナルコンピューターの黎明期でした。当初はゲームソフトの開発を行ない、「ロードランナー」や「大戦略シリーズ」といったヒット商品も数多く発売しました。その後、アップルコンピュータやアドビシステム、マクロメディアなどの国内代理店となり、ソフトだけでなくハードの販売を行なっていた時期もあります。日本証券業協会に株式を店頭公開(JASDAQ)したのが96年の11月。「岩波国語辞典」など電子辞書の開発や販売なども手がけましたが、近年は企業向けのシステム開発がメインです。05年にアパマンショップグループの資本参加を受けたこともあり、日本最大の不動産ポータルサイト「APAMAN」の運営も弊社が行なっています。

 ――ITの業界は、本当に変化が速い。御社で社長をなされていた樺島さんの時代には、業界の今後について互いに意見をぶつけ合い、喧嘩もしましたよ。

 吉尾 PCの発展と時代の求めに応じて変わってきた感じですね。株式を公開したと思ったら、そのときにはすでにビジネスモデルの終わりが見えていたなんてこともありました。当時は代理店方式でしたが、アドビやクラリスが自前で日本法人を立ち上げてくる。そうすると存在意義がなくなるということで、自社で電子辞書などのパッケージ化を図ったわけです。ただ、コンテンツ自体は借り物なのですから長続きしませんよね。結局は自社で「ものづくり」をするしかないということになり、業務系のシステム開発に進んでいきました。

 ――たしか、銀行が使うシステムの開発で大きな実績をあげましたね。

 吉尾 今では当たり前になっているJAVA系の銀行向け顧客情報システムですね。当時、福岡銀行さんが「ぜひやろう」といってくれたことで実現しました。日本初の試みだったものですから、「福岡銀行さんは懐が深い」と感激したのを覚えています。

<東大法卒の若者は実業に焦がれ門戸を叩いた>
 ――吉尾社長はNECのご出身とうかがっていますが、NECでの取引がこの会社とのご縁だったのですか。

 吉尾 必ずしもそうではありません。NEC在籍時は企画系の部署にいたこともあり、むしろアップルやアドビとの付き合いが深かったですね。ただ、個人的にはその頃から、大きな組織のなかで自分の仕事がどのように反映されているのかわからないという漠然とした悩みを抱えていました。伸び盛りの企業の大きな部門では、予算規模が「兆円」の桁になってきます。すると、誤差が「億円」の単位になるわけです。これは感覚的におかしいと感じましたし、単なる集計屋になってしまうのでは、との危機感もありました。そういった事情もあり、知り合いを頼ってこの会社に入りました。

 ――経営マネージャーの若手として鍛えられつつも、机上の計画では飽き足らない素質をお持ちだったのですね。

 吉尾 今思えば、若気の至りだったかもしれませんが、「リアルに近い仕事をしたい」という思いは常にありましたね。

 ――文系法学部出身の若者が、技術者だらけのソフト開発会社に移ったわけですから、苦労も多かったのでは。

 吉尾 意外かもしれませんが、それほど抵抗はありませんでした。学生時代に理系のサークルに所属してプログラミングの知識を得ていたのが役に立ったように思います。夏休みには企業からの依頼でプログラムをつくり、何十万円というバイト料をもらっていましたし、皆で手分けして書いた「コンピューターの基礎知識」という本を出版したこともあります。本当の意味での職業プログラマーではありませんでしたが、今の会社の方が、以前に慣れ親しんだ環境に近かったのかもしれません。

 ――とはいえ、大企業から地方の中小企業への転身です。任される仕事の内容も変わってくるでしょう。

 吉尾 それはもう、会社全体の財務内容から個々のプロジェクトの収支計算まで、ありとあらゆるものを見ました。サラリーマンですから最終的な責任を自分が被るわけではないのですが、前職時代は意識すらしなかった企業経営の一端を勉強させてもらいました。銀行折衝や上場手続などは想像以上に大変でしたが、とても刺激に溢れた経験でしたね。

(つづく)
【文・構成:田口 芳州】

| (後) ≫

<COMPANY INFORMATION>
所在地:福岡市中央区天神1-12-1
設 立:1979年9月
資本金:14億100万円
売上高:(12/9連結)14億9,983万円

<プロフィール>
yosio_pr.jpg吉尾 春樹(よしお はるき)
1960年6月生まれ。長崎県出身。県立長崎西高等学校から東京大学法学部を経て、83年4月に日本電気(NEC)入社。そこでの経験をもとに、92年7月に同社に転身。企画部長、エンジニアリング事業部長を経て、2005年12月から同社代表取締役社長。


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