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大さんのシニア・リポート~第13回 父に見る認知症異聞(1)
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2013年9月18日 15:37

panf.jpg 朝日新聞が昨年9月頃から、断続的に認知症に関するキャンペーンを紙上で繰り広げている。厚労省によると、65歳~69歳での有病率は1.5%だが、以後、5歳ごとに倍に増加し、85歳では27%と4人に1人以上である。総体的に65歳以上の10%が認知症だという。その数240万人。「認知症の人は300万人を越える」(朝日新聞「人・脈・記"認知症のわたし"第10回」2012年10月11日)という報告もある。完全に原因が究明されたとはいい切れないが、投薬で進行を食い止め、遅らせることが可能になった。一昔前まで、「ボケ(呆け)」と呼ばれて忌み嫌われ、恐れられてきた。20年前に亡くなった父の医療・介護の当時の状況と現在とを比較しながら「認知症」について触れてみたい。

 拙著に『冬の桜』という未発表のフィクションがある。徐々に呆けていく父を描いた作品で、事実に即した内容という意味ではノンフィクションに入れてもおかしくはない。1986(昭和61)年、東京に隣接するこの町にわたしたち家族と一緒に移り住んだ。やがて呆けとみられる症状があらわれ、昼と夜の区別がつかなくなった。終日家にいることの多いわたしが必然的に父を看ることになった。介護保険(2000年スタート)はまだない。不慣れな土地で呆けていく父を介護する苦闘の日々がはじまる。

 ある晩、ベッドで寝ているはずの父に起こされた。「キミ、ここはどのへんかね」という。時間は夜中の3時。「先生、浜松あたりを通過中です。名古屋には明朝になると思います。もう一眠りしてください」とこたえた。我が家はマンションの1階である。父の部屋からは庭先にある木々が、折からの強風にあおられ、大きくなびいている。それが車窓から後方に流れ去る風景のように見えた。
 父は若いころから演劇評論家として活躍していたが、戦争で母の故郷である山形に疎開し、そのまま居ついた。杉村春子、宇野重吉、滝沢修、小沢栄太郎という人たちとは終生付き合いがあった。そのとき、父は杉村たちと名古屋での公演に行く途中のつもりだったのだろう。わたしの役回りは「座長(父)のお付研究生」。お付の声を聞いて、父は安心したように眠りについた。

itiranhyou.jpg 発症後、わたしと妻は父を受け入れてくれる施設を探した。当時、ディケアやショートステイという施設はあったものの、痴呆症を受け入れるだけの態勢を整えた施設は極端に少なかった。現在のように認知症を受け入れる「グループホーム」「宅老所」のような施設はなく、「病人・患者」として病院に入院させるということが一般的だった。
 ここに一枚の紙がある。3つの施設(病院)を比較(費用、印象、問題点、その他)した一覧表で、実際に自分たちの目で確かめ、点数化した。K病院は、行政区が別で、面会に行くのに時間を要し、6カ月単位で「継続、退院」の判断があったものの、スタッフの態勢が万全で8点。T病院は、家から1時間と近くなのだが、病室にあるベッド間が狭く、詰め込みすぎだ。そのうえ、ベッドの柵に常時紐が取り付けられており、身体の自由を拘束する(実際に見た)と判断して6点。S病院は、最上階にコリドー(回廊)があり、白装束で無表情の男女が無言のまま、エンドレスに左回りを繰り返している。こうすることで、徘徊する患者に付き添う要員を確保しなくて済む。回廊の周囲には部屋が設けられ、歩き疲れた男女が、肩を寄せ合うようにして眠っている。職員の対応も悪く、費用も高額のため3点。ちなみに妻はS病院から出たとたんに嘔吐した。
 K病院に2年近くお世話になった父は、ようやくのことで順番が巡ってきた市内の特別養護老人ホームに移り、1993年、食事をのどに詰まらせて逝った。89歳が目の前だった。
 K病院の時は週に一度、特養に移ってからは毎日のように面会に出かけた。好きな菓子や果物を食べさせ、食事時間に間に合えばわたしが介助した。父はそれなりに幸せだったような気がした。

 老人病院はもとより、介護老人保健施設では当時、「朝は入所者を起こして身支度をさせ、車いすに座らせて廊下に並べる。別の職員が左右の手で1台ずつ押して食堂へ。食事は1人の職員が3人を食べさせる。食事が終わると、歯磨き担当の職員に渡す。おむつは3~4時間ごとの定時交換。汚れていてもいなくても関係ない。工場の流れ作業みたいだった」(朝日新聞「人・脈・記」"認知症のわたし" 第4回2012年10月2日)。K病院も夕食が5時。おむつも定時交換だった。こうした状況は現在でも職員不足を理由に、完全には払拭されていない。

(つづく)

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<プロフィール>
ooyamasi_p.jpg大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。


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