頭取交代劇から10年後の今年6月26日、山口FGは山口銀行本店(8階講堂)で株主総会を開催し、クーデターによって誕生した福田浩一山口銀行頭取(兼山口FG社長)の再任を含む人事が可決承認された。これによって福田氏は山口銀行頭取として歴代第3位(11年目)の長期在任をスタートさせることになった。
さて、ここで頭取交代劇に関わった人たちの10年後の今はどうなっているのだろうか。まずはクーデター派の「主役たちの今」を追ってみることにしたい。
まずは最年少の取締役であった福田氏を居並ぶ取締役をごぼう抜きにして代表取締役の座に就かせた、『山口銀行のドン』の田中耕三相談役について触れてみたい。
田中氏が頭取に就任したのは1992(平成4)年6月であった。1974(昭和49)年から18年間頭取に君臨していた伊村光氏から筆頭専務の田中氏へのバトンタッチは、順当な人事と行内外(当時)では受け取られたが、実際は2人の間に虚々実々の駆け引きがあったのだ。
田中氏は専務取締役営業本部長の時に、大量の不良債権を発生させた責任を問われ、行外に放出されそうになったが恭順の意を示し、かろうじて東京本部長として踏み留まることができたと伝えられている。
臥薪嘗胆に燃える田中氏は、東京本部長在任の3年間に、組合幹部出身の取締役を味方に付け、伊村頭取罷免のクーデターを実行しかけたといわれる。しかしそれを察知した伊村頭取は内紛が表面化するのを嫌って、田中氏に頭取の座を譲り、自らは会長に就くことで行内融和を図ったとの見方が有力となっている。
田中氏は頭取に就任してからちょうど10年となる2002年5月、退任して相談役に就任し、後任には勝原一明専務を代表取締役会長に、田原鐵之助専務を代表取締役頭取に指名する人事を発表した。田中氏は代表取締役会長として今後も采配を振るうとの見方が有力であったが、取締役にもならず相談役に退くという、その進退の潔さが行内外から絶賛され、また多くの経済団体からも突然の退任を惜しむ声が上がった。
しかし実態はそうではなかった。田中氏は相談役に就任した2年後、自分の地位を脅かす存在となった田原頭取に退任を迫ったが受け入れなかったため、田原頭取罷免のクーデターを主導し、決行させたのだ。米寿(88歳)を迎えた一介の相談役が、今も専用車で山口銀行本店に毎日出勤し、影の実力者として取締役を支配する立場にいる。『老いたり』といえどもその影響力は未だ健在だとの話が伝ってくる。
(つづく)
【北山 譲】
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