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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(1)
経済小説
2012年3月22日 07:00

<第一章 維新銀行の沿革(1)>
 この物語の舞台、「維新銀行」の前身である第百六十国立銀行は、1878年12月に大内藩の旧藩士達が、同藩士で、政治家としてまた実業家として明治政府と関わりの深い井上馨などの勧めによって興った。金禄公債を主な原資として資本金50万円で設立し、翌年の5月1日に西部県西京市で営業を開始したのが始まりである。

 国立銀行条例に基づく銀行としては、日本で最初に設立された第一国立銀行は、三井組と小野組が中核となって設立した「三井小野組合銀行」の後身である。

 井上馨、渋沢栄一紙幣頭、芳川顕正紙幣権頭の尽力により、2社を纏めて発足した第一国立銀行は払込資本金244万円で設立され、1873年(明治6年)8月1日に、日本初の商業銀行として営業を開始。初代頭取には井上馨と親しい渋沢栄一が就任した。

money.jpg 第一国立銀行は日本銀行創設以前には紙幣の発券が認められており、発行する銀行券は金貨との交換を義務付けられていた。その後日本初の株式会社として(株)第一銀行に改称し、戦後の1971年(昭和46年)に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行となり、現在はみずほ銀行、みずほコーポレート銀行。また第二国立銀行は、現在地銀トップの横浜銀行の前身である。

 国立銀行とは「国法によって立てられた銀行」という意味であり、国が創立した銀行ではなく、国が認可した民間の銀行である。民間の銀行ではあったが、当初は金貨との交換義務を持った兌換紙幣の発行権を持つなど広範な権限が与えられていた。反面、設立には制約も多く、これが国立銀行の発足に歯止めをかけていた。

 しかし、1876年(明治9年)から、不換紙幣の発行も認められるようになると、銀行設立が急増し160の国立銀行が開設された。乱立を恐れた明治政府は1879年(明治12年)以降新規の銀行設立を認めなくなった。第百六十銀行は最後に認可を受けた銀行であった。

 現在でもその名称が残っている銀行は、第四銀行(新潟県)、十六銀行(岐阜県)、十八銀行(長崎県)、七十七銀行(宮城県)、八十二銀行(長野県)、百五銀行(三重県)、百十四銀行(香川県)の地方銀行7行である。

 話は逸れるが、このなかで八十二銀行は第八十二国立銀行(鳥取県:後に富士銀行を経て現在のみずほコーポレート銀行へ)とは無関係であり、六十三銀行と十九銀行とが合併したことから、両行の数字の和(63+19)により、八十二銀行となったと記されている。

【北山 譲】

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 「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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