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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(2)
経済小説
2012年3月23日 07:00

<第一章 維新銀行の沿革(2)>
 1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した江戸幕府を、薩摩の島津藩や高知の土佐藩と共に倒したのが大内藩である。二百六十年以上にわたり、外様大名として辛酸をなめた大内藩は明治政府樹立に大きな貢献をした。その影響力は新政府の中でも突出しており、多くの総理大臣や著名な政治家を輩出している。

 第百六十国立銀行の初代頭取には大内藩の分藩の当主であり、士族総代の大内康清が就いた。明治政府樹立に連なる人達により設立された由緒ある銀行である。
第百六十国立銀行は1879年(明治12年)5月1日、西部県のほぼ中央部に位置し行政機関のある西京市で営業を開始したが、主要な産業はなく営業活動は停滞した。そのため三年後の1882年(明治15年)10月1日、本店を大陸との海上交通の要衝であり、日本国内でも有数の商業都市として栄えていた西部県の西にある海峡市に移転している。

0323_inoue.jpg 本店を海峡市に移転した7年後の1889年(明治22年)に開墾事業の投資に失敗して経営危機に陥った。その危機を救ったのが、大内藩の藩士であり第百六十銀行設立に貢献した井上馨であった。井上は関係の深い三井財閥に開墾事業を買い取らせる救済策を取りまとめた。そのお陰で設立間もない第百六十銀行は投資資金を回収することができ、何とか経営危機を乗り越えることができた。

 1899年(明治32年)5月には国立銀行としての営業が満期となり、株式会社百六十銀行と改称して新しいスタートを切ることになった。しかしスタートして間もない1900年(明治33年)前後から1905年(明治38年)にかけて、日清戦争後の反動による経済の停滞から、再度百六十銀行は経営危機に見舞われることになった。

 相談を受けた井上馨は、炭鉱業に詳しい専門家に依頼して調査したところ、同行の貸付先である炭鉱の7割~8割が経営難に陥っており、その殆どが不良債権化しているとの報告を受けた。
 これに驚いた井上は、日本銀行総裁の山本達雄や三井財閥の重役らを動かし、日本銀行、三井銀行、第一銀行などの諸銀行と大内公爵家からも融資を仰ぎ150万円を集めることに成功はしたが、あまりにも不良債権の額が多すぎて、百六十銀行の収益では到底処理することはできなかった。

【北山 譲】

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 「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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