大隅半島から日本の農業を変えてゆく
    経営理念に基づく"さかうえ"式農業

農業生産法人(株)さかうえ
     代表 坂上 隆 氏

「農業を工業化、産業化する」―そう公言する坂上隆氏(農業生産法人(株)さかうえ代表)のもとには、全国から多くの視察団が訪れる。高齢化による後継者不足、TPPによる輸入規制緩和、そして様々な要因による環境汚染によって、食の安全そのものが問われている現代において、鹿児島県でのびのびと農業を事業化し、規模を拡大する同氏の取り組みは、農業の未来を照らす一光と映る。若い頃は剣道を探求し、武道家として全国に名を轟かせた、その求道家としての精神が、農業従事者となった今だからこそ生きている、と同氏は語る。

全国から注目が集まる
"さかうえ"の農業法

  坂上氏は、1968年、鹿児島県志布志市の農家に生まれた。幼少の頃から剣道を始め、やがて国際武道大学で本格的に剣士の道を目指し始めた。剣術で名を馳せる、という1つの目標は果たした。警察や企業など、社会で剣士の腕を活かし地位を固める術には事欠かなかった。
  だが剣術を極めるということは、決して剣術士という肩書きで公認され、安定した地位を築くことと同義語ではない。同氏が社会人として道の選択を迫られた1990年前後は、日本がバブル期という異常に加熱した経済状態に置かれていた時期だった。「田舎で農業するより、都会でお金を稼げば、ずっと楽に生きられるじゃない」。そんな風潮が、そこかしこにあった。そんな時代に反発するかのように、同氏は故郷、大隅半島での“道”を求めるようになる。農業を志したというより、道を極めるための、当然の帰結だったと言える。
  九州でも南端の地、大隅は、農業に非常に適した土地、と坂上氏は顔をほころばせる。なにしろ全国に先駆けて春を迎えることができる。旬の野菜を、いち早く収穫できる幸運に恵まれている。休耕地を確保することができるほど、農地も広い。

全国から注目が集まる"さかうえ"の農業法

  さらに二期作も可能なので、実質上の作付面積を広げることもできる。さかうえの所有面積はおよそ80haだが、それを約2回転させることで150haほどの作付面積として使用し、ケール、キャベツ、ピーマン、じゃがいも、デントコーンなど、総生産量6,000tほどの農作物を育てている。市場には流さない。すべてが、特定の取引先へのみ出荷される契約栽培方式をとっている。例えばケールは青汁の原料として、大手健康食品会社に卸している。市場価格に左右させることなく、安定した売上高をあげることができるのは、この方式をとっているからだ。
  「農業は天候に振り回される、市場に左右される」。そう懸念し、農業を敬遠する者は多い。それが農業の後継者不足を招いている、という声を聞く。バブル期に蔓延した「農業より、都会で楽に暮らしたい」という風潮のなかにも、「安定した環境と収入を得て暮らしたい」という素朴な願いがある。それは経済発展を遂げた日本で育てられた子どもたちが、自然と吸収した空気でもあるのだ。農業で、安定した売上高を確保しさえすれば、明確な予算計画を立てることができる。予算計画を立てることができれば、継続的に設備投資を行ない、安定した農業運営ができる。農業を工業化できれば、農業は、もっと安定した産業として発展していくのではないか、そんな想いを燻らせているのは若者だけではない。
  さかうえに訪れる視察団の数の多さが、まさにその現状を示している。

求道のすえに
不動心を得た20代

  ところで、坂上氏自身はどんな青年期を過ごし、どのような未来を築こうとしていたのだろう。剣道の道での成功を保証されていながら、農業に転身することに迷いはなかったのだろうか。
  これに対し、坂上氏は、「農業を目指したわけでなく、剣道を突き詰めた先の生き方を見つけたということだと思います」と語る。
  まだ剣士を志して剣道に打ち込んでいた大学2年の頃、“開眼”、いわゆる「気が読める」ようになったという。剣道では、力溢れる俊敏な若者が、高齢者の竹刀にあっという間に打たれる場をよく見る。そんなとき、高齢者は打って出る相手の“気”を見て捉え、確実に打つ。その気を、感じられるようになった坂上氏は、力技では捉えることができない気の原理を知りたいと渇望した。それが剣道の技の取得にかけていたエネルギーを、知的欲求の方向に変えるきっかけとなったのだ。
  以来、宮本武蔵のような剣豪が記した書物を始め、剣術の精神の基でもある宗教書、そして哲学書を読み進めていった。書籍購入に投じた金額は100万円をくだらない。大学卒業後も、図書館のそばに家を借り、日中は読書、夕方からアルバイト、という生活を1年半ほど続けた。
  その期間のすえに得たものは、自分のなかにぶれない芯(ルール)ができたことだった。自分で何となく感じていたもの、真理、真実とは何か、を考えながら先人たちがまとめたものに触れるうちに、生きる道、自己形成ができた。剣術用語でいえば、不動心を得た、ということだろう。人は誰しも何かにつけ不安になったり迷ったりするものだが、不動心を持つことで、気持ちがぶれなくなったのだ。
  だからこそ、経済的安定を保証された職を捨てて、不安定と言われる農業に従事することもできた。経営に携われば、すべてが順風満帆に進むというわけにはいかないが、低迷した時期でも心迷わせることなく打開案を見つけることができた。これらの経験のもとに、さかうえの経営理念「哲学・環境・経済の融合による農業価値の創造」が成り立っている。
  農業従事者が反対の声を上げる「TPP(環太平洋経済連携機構)」について、静かに経過を見守っているのも、不動心の表れだろう。
  「カントリーリスクはどの国にもあります。アメリカやヨーロッパでも条件は一緒です。例えばオーストラリアは資源が豊富だけど人件費は高い。正直なところ実際に(TPPが)発行されてみなければ、本当の影響はわかりません。時代の流れを読むことは必要ですが、経営者に必要なのは世の中がどう変わっても対応できる体制を敷くことだと思います」と落ち着いて語る。
  さらに、多くの業界が経済活性化する政策を望んでいることについても、天候と同じなのであまり関心がない、という。
  「晴れているときもあれば台風に襲われることもある。政権が変われば政策も農業者とっては追い風に吹くときもあれば逆風のときもある。天気が悪いからといっていちいち怒っていては身が持ちません」(坂上氏)。

社会の成熟度にあわせ
農業の動機にも変化が

社会の成熟度にあわせ農業の動機にも変化が

  では、天候を気に病むことがないほど、農業は儲かると考えているのだろうか。単刀直入な問いかけにも、「儲かります」と即答する。
  昨年度の売上高は2億600万円。経常利益は約600万円で、経常利益率は3%。現在は業容が成長過程なので、設備投資や教育などに投資しているそうだが、安定期に入れば経常利益率10%は可能だという。その秘訣は農業の工業化、産業化にある。
  それでは、なぜこれまで農業は工業化、産業化されてこなかったのか。この問いには、「たくさんの課題があったと思う」と答える。そこで坂上氏が掲げたのが、「マズローの欲求段階説」だ。
  アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた「マズローの欲求段階説」は、人間の欲求は5段階に分けられたピラミッドを形成しており、底辺にあたる「生理的欲求」から段階を踏んで「安全の欲求」「親和の欲求」「自我の欲求」と上昇し、最終的に頂点の「自己実現の欲求」に到達する、というものだ。農業は人類史上もっとも古い職業で「意識」という面では、食べるために作物をつくってきた。その動機は、マズローの欲求5段階説でいう「生理的欲求」に当たる。そうすると「畑に1枚ぐらいロスが出ても、食べていければそれで良い」という思考になりがちになる。つまり、本当は、1枚の畑から、通常の10倍分の収穫をするために、意識的にも技術的にも高水準のものを求めていかなくてはならないのに、そういう経済的な思考が生まれにくいのが農業だというのだ。だから事業化が進まなかった。経済活動が活発に行なわれるようになったのはわずか200年ほど前。その後に生まれた、経済的な観点を持った多くの職業と、農業は性質が異なる。
  しかし、社会が成熟するにつれて、農業へ取り組む動機にも変化が生じ始めた。欲するものは、生理的なものから、安全へ。さらに親和、自我、へと段階を1つずつ上がり、今、さかうえの社員の多くは「自己実現」ために働いているという。自己実現のためには、経営的視点で人生設計する必要も出てくる。同様に、ほかにも、農業に経営の概念で取り組むところは増えてきていると、坂上氏は見ている。
  農業ではないが、大隅半島には、クリエイトファーム(鹿屋市)代表の枦川勝志氏などのように、畜産業を営みながら、自ら加工し小売店を行なうなど、事業化することで売上を伸ばしている会社がある。大隅にはそのような潜在力があり、今後、農業を産業として活性化していく土壌があると期待している。
  経験や勘の確かな農家が良い作物をつくる、という考えは、いまだ農業界に根強く残る。経営的な運営にしり込みする精神に影響を与えていることは否めない。
  確かに、技術を可視化するのが困難な業種であることは間違いない。しかし、さかうえでは、およそ20年に渡ってデータの蓄積やシステム開発に取り組んだ結果、可視化やシステム化することができた。このようなシステムを利用すれば、農作業の効率化も進み、年中無休と見られている農耕作業に、定期的な休暇を取り入れることも可能になる。実際、さかうえは、日曜日が休日だ。自然が相手なので、日々様子を見なくてはならないときもあるが、あらかじめ出勤シフトを組んで担当を決めてしまえば問題は生じない。きちんとシステムに則って取り組めば、農業も製造業と同じ就業システムで経営していける。

水と土と空気があれば
どこででも農業は可能

  このように、経営理論に則った農業の在り方に未来の農業業界への可能性を見て、視察団だけではなく、多くの優秀な人材がさかうえの門戸を叩く。
  35名の社員のうち、専門職以外のほとんどが島根など地元以外の出身者だ。以前は北海道出身者もいた。基本的に大卒を採用する。坂上氏の経験上、ある程度自分を見極める時期を経た人材を求めるということだろうか。昨年度は6~7名採用したそうだ。約10倍の狭き門をくぐりぬけて入社するので、皆、覚悟を持っているという。
  人材育成にあたっては、個人の特性を見て、本人がやりたいと望むものを担当してもらうという。覚悟を持ち、自己実現の欲求の強い人材は、権限委譲をすると伸びる。社員はお客さま(消費者)だと考えているので、自分は交通整理役に徹し、個人の意欲に任せてのびのびと従事してもらっているのだそうだ。このような優秀な素材の人たちを、なるべく早い時期に高い水準に上げていくのが、今、一番の課題だ。今はまだ経験が浅いが、年収1,000万円プレイヤーも遠からず生まれると期待している。
  現在、さかうえは農業生産法人として平均的な売上高を上げているが、今までの延長線上で、100億円までは伸ばせると考えている。さらに、自分が生きているうちに1,000億円を越えるまで成長させるというのが、将来の展望だ。「鹿児島県の農業産出額が4,000億円なので、1,000億円に到達すれば、大隅の枠を超えることもできるでしょう。私たちの仕事は、水と土と空気があればどこでもできます。今育っている人たちが羽ばたけば、十分可能だと信じています」(坂上氏)。
  この夢のためにも、できるだけ多くの優秀な人材を、早急に育てたいのだ。今は資質ある社員に委ね、大学院での研究や、勉強会への参加を行ない、次の事業展開への準備も進めている。

水と土と空気があればどこででも農業は可能

  経済が急降下、震災で価値観も変わっていく日本。どのように生きていくべきか、戸惑う人もまた、さかうえの経営に興味を向けている。これに対して坂上氏は、「日本人の繊細さを活かすべきだと思います。私たちはこれまで原料に付加価値を付けることで経済成長し世界から称賛されました。今は震災で元気をなくしていますが、失意のなかで整然と並ぶモラルの高さ、人を気遣う気持ちに世界は驚嘆しました。こうした繊細さがもう一度世界を席巻すると思います」と語る。「これから思いもよらぬことが起きてきるでしょう。過去の歴史を見ても戦争が起きる可能性もゼロではない。その時に自分たちに何ができるか、私は農業家として出来る準備をしておきたいと思います」。
  その言葉には、剣術で培った、揺るぎない芯がある。坂上氏の求道心、そして不動心は、今後、日本農業界を牽引する、大きな柱ともなるだろう。

(文・構成 鹿島 譲二)

農業生産法人 ㈱さかうえ

代 表:坂上 隆
所在地:鹿児島県志布志市志布志町安楽2873-4
設 立:1995年4月  資本金:5,200万円
TEL :099-473-1990
FAX :099-473-1979
作付面積:150ha
URL :http://www.sakaue-farm.co.jp/