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積水ハウスの興亡史 (12) 本業に徹せよ! | 愛する積水シリーズ
特別取材
2007年12月 5日 13:03

 昭和40年から55年(1965~1980)にかけて、当時の田鍋は「本業に徹せよ」と盛んに言っていた。 昭和47年(1972)、田中内閣の日本列島改造論により、日本中が、総不動産屋といわれるくらい、土地ブームに沸きかえった。土地を買えば、必ず上がり、儲かるということで、日本中、土地の売り買いの情報が行き交っていた。

 積水ハウスにも土地の情報が山のように来ていたが、田鍋は物を生産し、それから利益を出す日本窒素、積水化学と、いわゆるメーカーマンとして歩いてきていたので、何にも生産せず、土地を転がすだけで収益を上げることが許せなかったのだろう。「土地では儲けない」という、経営理念を持っていた。

 一方、他社は土地買いに狂奔していた。田鍋はいつまでも、こんな状況は続かないと読んでいた。やがて第二次石油ショックが起こり、急速に、土地ブームも鎮静化していった。土地買いに狂奔していた会社は借金で買っているのだから、金利負担に耐えられず、損切りしてまでも手放すことが多かった。

 もうひとつ、当時、田鍋は住宅(本業)以外を販売することを許さなかった。当時はまだ、ビル、ホテル、店舗、マンション、など特殊な建物を設計、監理、監督できる本格的な技術社員が育っていなかった。経験不足、力不足のため、ひとつのクレームで命取りになりかねない危惧があった。また、そのような事業物件は基本的には資金の貸付であった。自社ローンか銀行との積水ハウス保証つきの提携ローンの利用を前提としていたのだ。

 事業は成功もあるが、失敗もある。もし、失敗したら、その物件は差し押さえても、事業が継続不可なら、二足三文だ。営業は数字が欲しいから契約したい。田鍋は営業に向かい、「お前はホテルの支配人になれるか?レストランの店長になれるか?」と聞いて、「なれないだろう、だから、やめとけ」と許可はしなかった。

 積水ハウスがリゾートホテル、ゴルフ場建設とか、本業以外一切行わず住宅という本業に徹したことが、長い不況の中、増収増益を続けられた原因と思われる。(文中敬称略)


野口孫子

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