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特別取材

No.004┃タマホーム株式会社 代表取締役社長 玉木 康裕 氏 | 福岡への提言200人
特別取材
2008年2月 1日 11:19

適正な価格での販売でお客様の夢をサポート


 注文住宅系ハウスビルダーとして、躍進を続けるタマホーム(株)。同社の躍進は留まることを知らず、設立後わずか7年で業界トップクラスに成長し、9年目には年商1,000億円を突破するなど、いまだにその勢いは失われない。

 「何も、変わったことはしていません。もともと、日本の住宅の建築費は高すぎるんです。坪60万円から80万円。安くても4~50万円かかりますからね。欧米では20~30万円で出来ますよ。これでは、家を建てる人はゆとりある生活も出来ませんし、若いうちから住宅を持つことは困難です。ですから、どうしても欧米並みの価格で出来る住宅を作りたかったんです。それを実践しているだけですよ」と玉木康裕社長。

玉木社長が決断したのは、打ち合わせを兼ねてお客さんと3人で近くにオープンしたレストランへコーヒーを飲みに行き、愕然としたことに遡る。
清算するときにとき「450円です」といわれ「一杯450円かちょっと高いなー」と思って千円札を2枚出すと「1枚で結構です。お釣りの550円です」といわれてびっくりした。1杯が150円と聞き、大きなショックを受けた。
この価格は玉木社長が学生のころの値段。それから20年近く経っているにもかかわらず、よくその価格で出来るなと思ったという。
元々、日本の家の建築コストは高いと思っていた玉木社長は「コーヒーが出来るなら家も出来るはず」と、価格を下げることを決断した。

当時、坪単価50万円前後で受けていたものを半分の24.8万円(消費税抜き)にしたが、この時の社員から『専務は気が狂ったんですか』と馬鹿にされ、『この値段でどうやって利益が出るんですか』と猛反対を受けた。しかし、玉木社長は「コーヒーが出来て住宅で出来ないはずはない。必ずやれる」という信念のもと、価格破壊に挑戦した。

「30歳のときにアメリカの大学に聴講生として、当時の建築事情を勉強しに行ったんです。その時に驚いたのが、土地と住宅の価格差です。アメリカの住宅の坪単価は約30万円程度なのに、日本よりグレードが高く、豊かな生活をしている人が多いんです。非常にショックを受けましたね。これを何としてでも日本で普及したい。広げたいと思いました。そして、日本に帰ってからも常に考えていましたが、中々思うようにはいきませんでした。それを、コーヒーが思い出させてくれたんです。そして、何が何でもやり抜くんだ。お客様の夢である『家』を適正価格で提供するんだと決断をして、やり始めたんです」と玉木社長。


長い行列を見て自信を深め、苦労の連続も信念を貫く

「当初は苦しい体験をしました。周囲の反対もありましたが、98年6月に筑後興産の住宅部門を分離独立する形でタマホームを設立しました。社員3名からのスタートでした。必ずやれる。成功する。という信念でやり遂げましたが、私を信じてついてきてくれた社員が3名もいる。この3名がいれば、必ず日本一になれると思いましたね」と玉木社長。

 「しかし設立当初は資金がないので苦労の連続で、事務所を構えようにもお金がなく、モデルハウスを建てるのにもお金がない。そうしたときに、どうしても欲しい土地があった。それが今の筑後店です。必ず実現するという強い信念のもと、東奔西走して展示場のオープンにこぎつけることとなりました」オープン初日にお客様は来店されるのだろうか?自分の信念が試される瞬間で、玉木社長も気が気ではなかった。しかし、「全体に成功する」という強い信念は揺るがなかった。
そして運命の日を迎えた。2000年1月1日の第1号店がオープンした日は、玉木社長が生涯忘れられない日となった。

その日は特別寒い日で、雪交じりの冷たい日で、しかも元旦。「今日は流石にだめかなぁ」と弱気なったそうだが、窓の外を見てビックリしたという。何と、車が駐車場に入りきれず、行列が出来ていたのだ。その光景を見て涙が溢れたという。

「会社を創業してから1年半、銀行からようやく融資を受け、社員も10人体制となり、筑後店のオープンとなったが、これで人が来なかったら・・・。と思っていたら、外は雨と雪が混じっているにもかかわらず、沢山の人が来てくれて、しかも車は数珠繋ぎで並んでいるのです。本当に涙が出ました。『いい家でしかも安い!』当時は、業界の非常識でしたが、並んでいる人たちを見て、この家を全国の人たちに提供するのが私の使命だと思い、私がやっていることは間違っていない」と、その想いを更に強くした。

「お客様に喜ばれるものを提供することは、他の人にも納得してもらえるパワーがあります。商売の原点は如何にお客様に喜んでいただけるかということ。企業が成功する一番の理由はこれではないでしょうか。私どもの原点は『如何にお客様に満足していただけるか』です。それで、私どもの『家』は『大安心の家』のキャッチフレーズでやっているのです。お客様の夢であるマイホームを実現させるために、従来の常識を覆す価格と仕様を全国の方々に知っていただくことが私の使命だと思っております。そして、日本だけに留まらず、中国をはじめとした外国にも進出しますよ」と玉木社長。この想いが今のタマホームの原点になっている。

 強い意志でローコスト住宅の販売を続けると同時に、社員や職人の意識改革にも乗り出し、職人の言葉遣いや、施主が職人にお茶や食事を提供する習慣の廃止などを行い、これまでの慣習にとらわれない試みをどしどし導入した。
 こうした、前例に囚われず改革を進めることが、住宅業界の『織田信長』と称される所以である。


マンションを含めた総合住生活産業に

 玉木社長の住宅に対する想いと、信念は広く国民に支持されることとなった。それを裏付けるように、筑後市から福岡市そして、東京へと本社を移し、拠点は北は岩手・秋田まで進出し、それこそ全国へと広がっていったのでもわかる。

 躍進を続ける同社を支えているのが、早くから力を入れている人材教育。
これだけのスピードで成長を続ける同社の出店・拡大路線に沿って、それらを担当する有能な社員が多いのにはびっくりさせられるが、徹底した教育システムを取り入れ、タマホームの理念を理解した社員を育てるシステムを構築しているのだ。「人は財ですよ。よく人財といいますが、そのとおりです。ですから、求人と教育には労力を惜しみません」という。

社員が1万人を超えるのもそう遠くなく、将来的には、グループ全体で3~4万人規模が計画されているが、玉木社長は「組織は人が多ければ多いほど人材教育は容易です。また、優秀な人材も沢山集まります。会社が組織的に出来れば社員が1,000人でも5,000人でもやることは同じです。大事なのはシステムです。モノづくりは人づくり、人づくりはシステムづくりなのです」と玉木社長。

 そして、今後は「戸建住宅だけにとらわれず、マンション分譲も始めます。関東で、マンションはやらないんですか?というお客様の意見もありましたので、数年前から策は練っていました。マンションでも戸建住宅でも同じです。タマホームの原点は『日本の住宅は高すぎる』です。人生で住宅が終着点ではありません。スタートなのです。そのために、ローンなどに縛られるのはよくありません。適正価格を実現すれば、お客様も余裕ができますし、喜んでいただけるのです」という想いが全国へと広まっている。



[プロフィール]
玉木 康裕(たまき やすひろ)
タマホーム株式会社 代表取締役社長

1950年福岡県生まれ。福岡大学卒業後、明治30年から続く実家の建設業に従事。78年筑後興産(株)の専務取締役に就任。98年、不動産・建築・設計部門を独立させて福岡県筑後市でタマホーム(株)を設立、代表取締役に就任、斬新な手法は住宅業界の織田信長として注目されている。

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2011年6月24日 07:00
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