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福島交通が会社更生法申請 元オーナーは政商として暗躍した小針暦二 (上) |東京レポート
特別取材
2008年4月14日 10:53

 懐かしい社名を目にした。福島交通(福島市、武藤孝志社長)が4月11日、東京地裁に会社更生法の適用を申請したという報道である。子会社を含めた負債総額は約81億円。福島県中通り地方(福島市など)を中心に運行する路線バス会社だが、オーナーの名前とともに、その知名度は全国区並みであった。

 オーナーの名は小針暦二。福田赳夫元首相(福田康夫首相の父親)の資金スポンサーだった男、政界の実力者、金丸信自民党副総裁を失脚させた男、日本債券信用銀行(日債銀と略、現・あおぞら銀行)と石川銀行(石川県金沢市)を喰い潰した男として知られる。金丸の言によれば「「小さい政商みたいな人」となる。


日債銀から政界へのパイプ役         

 小針が政商として名をあげたのは、田中角栄と福田赳夫が激しく争った1972年の自民党総裁選である。票集めに実弾が飛び交い、「角福戦争」と呼ばれた。その実弾を用意したのが、田中陣営は田中の“刎頚の友”小佐野賢治、福田陣営は小針だった。

 小針は、総裁選の前年に日債銀と取引を開始して、福島県白河市の土地買収に取りかかった。日債銀から受けた融資のうち50億円が使途不明金となっている。50億円の大部分を小針が総裁選に流用したというのが、永田町の定説である。

 政界の「貯金箱」といわれた日債銀から、政界に金を渡すパイプ役となった小針は、その見返りに日債銀から巨額の資金を引き出した。その額はピーク時の1981年には740億円に達した。

 福島交通グループへの融資の焦げ付きが日債銀が破綻する大きな要因になったが、日債銀は福島交通の不良債権を引き取り、小針が責任を問われることはなかった。政界へ金を渡すダミーとして小針を利用してきた内情を暴露されることを恐れた日債銀は責任を追求できなかったのである。


国有地・那須高原の払い下げ         

 小針暦二は1914(大正3)年福島県の生まれ。旧制安積中学を中退して酒屋の丁稚奉公からスタート。敗戦後のヤミ米時代に精米所でひと儲けして、福島県白河の炭鉱を買収。だが、経営に失敗して大阪に逃げた。この大阪で運をつかんだ。商品相場で一山当て、自らつくった不動産会社・美福を通じて土地や山林を手に入れた。政財界人とのつながりができるのも大阪時代である。

 当時、関西財界の政商といわれた江商会長・駒村資正に取り入った。三男を政界の実力者・河野一郎の長女に結婚させた駒村の関係から、小針は河野の使い走りをやった。河野が那須別邸で愛人と同衾している部屋に小針を呼びつけた逸話が残っている。

 小針が使い走りから政商に転じるのは1964年と65年の2回にわたって、栃木県那須高原の国有地を取得したことによる。この国有地払い下げは河野-駒村ラインで進められた。表に立った小針経営の美福はあくまでダミーにすぎなかったが、資金を出した江商を出し抜いて、国有林野の3分の1を藤和不動産に転売して巨額の転売益を得た。江商側は激怒したが、河野派の重鎮・重政誠之が調停に入って示談が成立した。那須高原にある河野牧場は、この時、小針が河野一郎に提供したと、国会で暴露された。

 国有地の払い下げで一財産築いた小針は、その資金で労使紛争に揺れるワンマン社長・織田大蔵が経営する福島交通の株を取得し、1972年社長に就任。河野派を引き継いだ運輸大臣の中曽根康弘と中曽根派の天野光晴が小針の社長就任を工作した。その後、福島交通、福島民報(新聞)、ラジオ福島を中核3社とするグループ10数社のオーナーとなった。


つづく

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