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福島交通が会社更生法申請 元オーナーは政商として暗躍した小針暦二 (下) |東京レポート
特別取材
2008年4月15日 09:26

第二地銀、石川銀行を喰い潰す          

 小針の次の資金スポンサーは東京佐川急便である。1984年日債銀の過剰融資が国会でも取り上げられ、福島交通グループの乱脈経営が明るみになって経営危機に陥った。この時、不良債権を買い取って救済したのが、東京佐川急便社長の渡辺広康だ。小針は200億円以上の融資を東京佐川急便から引き出した。

 1992年東京佐川急便が、稲川会元会長の石井進の関連企業に巨額の債務保証していたことが発覚。この事件では福島交通本社が家宅捜索を受けた。その過程で、自民党副総裁の金丸信の不正蓄財があぶりだされた。

 金丸の不正蓄財は、日債銀のワリシン、興銀のワリコーなどの割引金融債、現金や金地金数十キロなど44億円余に達した。脱税指南役は小針である。小針は「現金よりも無記名で買えるワリシンにしておいた方が安全だ」と金丸にワリシンの購入を勧めた。

 東京佐川事件の発覚で資金パイプが切れた小針の新しい資金スポンサーとして登場したのが、金沢市に本店を置く第二地銀、石川銀行である。石川銀行の不良債権先である食品会社を、福島交通グループの複数の会社へ譲渡したことが発端になった。その代償として福島交通グループのゴルフ場、那須カントリー倶楽部を所有する日本ロイヤルクラブに融資した。不良債権飛ばしの見返りとして、巨額な融資が実行されたわけだ。

 このゴルフ場が倒産して福島交通グループ向けの不良債権は最終的に500億円に達した。2001年に石川銀行は経営破たんしたが、その最大の原因が福島交通グループに対する巨額融資が焦げ付いたからだった。


クーデターで一族は放逐           

 金丸信巨額脱税事件で衆院特別委員会の臨床尋問を受けた直後に再び体調を崩した小針は1993年11月、入院先の都内の病院で亡くなった。享年79歳。「昭和の政商」小佐野賢治になぞらえ「東北の小佐野」と呼ばれた男は、1度も塀の内側に落ちることなく天寿を全うした。悪運は強かったというべきか。

 その後の福島交通グループについて、触れておこう。1986年、別法人の新福島交通を設立、旧福島交通の交通事業部門の譲渡を受けた。現在の福島交通である。不動産事業は旧福島交通と福島交通不動産を合併し、エフ・アール・イーと社名を変え、1999年に自己破産を申請。日債銀は福島交通に融資した不良債権を処理した。

 小針の死後、グループを継承したのは長男の小針美雄である。だが、日本ロイヤルクラブが石川銀行から競売を申し立てられるなど経営悪化が表面化。美雄は新たにパチンコ事業に進出をはかる。これに反発した福島交通など中核3社の取締役会は、1997年12月、緊急動議で社長の美雄とその義弟の副社長を解任した。ほぼ20年に及んだ小針一族の支配は終わった。小針一族は追放したが、路線バス事業の経営は厳しい。今回、福島交通は会社更生法を申請したのである。(敬称略)

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