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特別取材

提言 食育とは何か
特別取材
2008年5月15日 09:46

給食パン 手つかず、袋入りのままでも「ごみ」に!?
市教委 突然の持ち帰り禁止通知

飢えで死ぬ子ども、5秒に1人の現実

 ここ数年、「飽食の国・日本」に食の安全を脅かす事件が続発した。食品偽装、毒入り餃子、船場吉兆・・・。少し見方を変えれば、豊か過ぎる食事情が招いた事件とも言えるのではないだろうか。

 一方、世界に目を向けると、5秒に1人の子どもが、飢えが原因で命を落しているという(国連WFP協会ホームページから)。別のデータでは1分間に21人の子どもが、飢餓のため命を奪われるとも記されている。
 世界の現実とあまりにかけ離れた日本の現状だが、それでも「食育」の重要性が叫ばれ、国際人育成に力を入れている。

 福岡市でも教育現場において、食べ物の大切さを教え続けてきたはずである。
世界に羽ばたく可能性を育む教育も、以前とは比べ物にならないくらい充実している。

波紋呼ぶ福岡市教委の「通知」

 その福岡市で、市教育委員会が出した突然のお達しが波紋を呼んでいる。
去る4月15日、福岡市教育委員会健康教育課から、福岡市内の全小学校(146校)に1通の通知が出された。これを受けて市内の小学校では、児童にプリントを持ち帰らせている。(参照・学校名等が特定される部分は黒塗りにしています)

 市教委の通知は「パン等の残食の取扱について」と題されている。内容は、給食時、児童が残したパンについて、持ち帰り禁止を指導するようにということである。
 通知の中で「本市においては~持ち帰りを禁止しているところですが」としてはいるが、市内の多くの小学校では、給食のパンを食べ残した場合、持ち帰ることが許されてきた。しかし、早くから禁止していた小学校もあり、対応は各校の判断に委ねられていたとされる。
 ちなみに市内の中学校は、69校全てで持ち帰り禁止が徹底されている。
 これは小学校と中学校の、給食システムが違うからとされる。

 持ち帰り禁止の対象は、いわゆる食べ残しだけではなく、全く手がつけられず袋に入ったままのパンも例外ではない。
 そうしたパンはどのように処分されるのかといえば、「残飯」つまり「ごみ」として廃棄されるという。思わず考え込んでしまうのは、筆者だけではあるまい。

 特に現場の校長をはじめ、教職員の苦悩は推して知るべし。日ごろ「食べ物を大切に」と教えてきたのに、「パンを持ち帰ってはいけません」と言わなければならない矛盾・・・。
 「残したパンは残飯であり、ごみとして処分されます」とは、なかなか言えないだろうことも想像に難くない。事実、対応に苦慮した学校もあったと聞く。

 教育委員会の通知にある文科省の「学校給食衛星管理の基準」は、O-157や食中毒事件を受けて平成8年に定められた。それでも12年間、ゆるやかな対応がとられてきたのは、やはり「食」の大切さを教えながら、一方でその「食」を簡単にゴミとして処理することへの葛藤があったからではないだろうか。

提言その1・・・・・大人・子ども、一緒に議論を!

 この際、これをよい機会としてとらえ、教育委員会も含め、PTAや地域の有識者などを巻き込み、もう一度議論したうえで各校の判断に委ねてはどうだろうか。
 そのことは、大人も子どもも一緒になって「食」について考える、ひとつの機会にもなるだろう。

提言その2・・・・・現実を教えることも教育

 小学校では、児童が残したパンについて、たとえ全く手をつけていない袋入りのままの状態でも、「ごみになります」と明言しているのだろうか。どうも、そのあたりは曖昧になっているようだ。愚息や友人の子どもに聞いても、答えはまちまちなのだ。

 誤解を恐れずに言えば、子ども達には、袋を開けていないパンでも残飯となり、ゴミとして処分されていくという現実を、しっかりと教えるべきではないだろうか。
 もちろん同時に、世の中には、食べたくてもひとかけらのパンさえ口にすることのできない、あまたの子ども達のことも教えなければなるまい。

 外国語が使えるだけでは「国際人」とは呼べない。世界の実情を知り、世界の中で日本人として何をなすべきかを考え、行動できる人間こそ「国際人」と呼ぶに相応しい。
真新しいパンが「ごみ」として捨てられても平然としているような人間が、世界を語ることができるのか? 答えは分かりきっている。
 大人にとっても子どもにとっても、給食の新しいパン1個から学ぶべきものは多い。

提言その3・・・・・一部の意見で大切なものを切り捨てるな

 教育現場はわずかな数のクレームだけで右往左往するべきではない。今回の「通知」は、持ち帰ったパンに異物混入があった、などというごく少数の苦情が発端になったらしい。

 とんでもないことである。パンの持ち帰りは児童、あるいは家庭の自由に委ねられていた。もちろん給食時に異物混入などがあれば問題だが、持ち帰ったパンについては、家庭の責任である。持ち帰ったパンについて文句があれば、親が子どもに持ち帰るなと言い渡せば済むことで、学校や教育委員会の責任ではあるまい。

 何でもかんでも学校や教育委員会の責任にしてしまう風潮は、再考する必要があろう。
しかし、教育委員会や学校側も毅然とした態度をとってもらいたい。
 子育てはとどのつまり親の自己責任である。学校や地域はその補完だということを忘れてはならない。

 いつのまにか、「モンスターペアレント」などという見慣れない言葉が市民権を得ている。文句は言う、給食費は払わない、そんな親が増えていることも事実だ。
 問題は、一部の声だけに振り回されて、議論することもなく、1枚の紙切れで大切なことが切り捨てられることである。「食育」について考える、絶好の機会を奪ってはならない。
 教育委員会や学校も、恐れることなく積極的に情報を公開し、議論の場を作ってもらいたい。

 食べ残したパンは、持ち帰りを許した上で、食べるか処分するかの判断については各家庭の判断に委ねる、そうした過程も「教育」ではないかと考える。もちろん私見ではあるが・・・。

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