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地雷被害に遭った子どもたち 追跡調査から見えた親子愛(下) | CMC特別レポート
特別取材
2008年10月 8日 09:30

貧困と地雷被害の悲劇

 コムリット君(以下、コム君)は、2000年5月にエマージェンシーを訪れた際、右足を吹き飛ばされ左足に大火傷を負った状態で入院していた。そばに母親が付き、涙ながらに「なぜうちの子がこんな目に遭わないといけないのかしら…」と涙ぐんでいた。年齢を聞くと11歳で、学校へは行っていないとのことだった。
 翌年に再び訪ねてみると、バンティアイミエンチャイ州の州都シソポン市にあるアンファン・ド・メコンという孤児院に入れられており、母親の姿は無かった。コム君は、「寂しくて仕方ない。お母さんに会いたい」と何度も訴えた。成長とともに骨が伸びて肉を突き破るたびに、骨を削って新しい義足も取り替えなければならず、彼は寂しさと同時に、痛みにも耐えなければならなかった。貧しさゆえにコム君を施設に入れ、母親はタイ国境の町まで出稼ぎに行きっぱなしの状況だった。
 06年5月18日、事故からちょうど6年ぶりに井上がコム君に会った。彼は相変わらず、アンファン・ド・メコンにいた。事故に遭った2000年以来、エマージェンシーで手術を4度受け、ICRC(国際赤十字)に毎年通って義足の交換をしている。アンファン・ド・メコンは、フランス人のディレクターが運営しており、7歳から21歳まで約100人の孤児たちが暮らしている。宿舎のほかに学校や運動場も併設しており、子どもたちに教育も提供する立派な施設だ。数人の寮母さんがグループごとについており、母親役として衣食住の世話をしている。
 コム君は男女8人ずつの16人で共同生活をしており、ポアンさんという寮母さんがそこに付いていた。彼は3人兄弟の末っ子でセックソックという村で生まれたが、誕生前に父親が亡くなり、母親は生きるためにタイ国境の村で小作人として重労働に従事しなければならなかった。兄は叔父の家で働き、姉とコム君はチタン村の知り合いに預けられた。そのチタン村で地雷被害に遭ったのである。
 再び年齢を聞くと13歳だという。6年前に11歳だと病院で聞かされていたのと符合しないが、今の13歳が本当らしい。つまり、事故時は6才だったということになる。
 現在は施設の学校で2時間、公立の学校で毎日4時間ずつ勉強できており、5年生になっている。勉強についていくのは大変だが、算数は大好きだということだ。将来はカセットレコーダーの修理をしたいという。
 話を聞きながら驚いたのは、コム君の異常な痩せ方だった。お腹だけは太ったように出ているが、腕は枯れ枝のように細く、大量の汗をかいていた。受け答えも精一杯の様子だった。
 実は、05年9月に里帰りをして以降、ずっと体調が悪かったという。セックソック村に帰ったときにマラリアにかかり、エマージェンシーで足の治療とマラリアの治療を受けたが、それ以降、生理的な変調をきたしたようだ。新たに病院にかかってみると糖尿病だという。06年3月に入って2週間ほどで急激に痩せ細り、同月の彼の誕生日パーティーの写真を見せてもらったが、骨に皮がかぶさったような状態で、びっくりするほど痩せていた。
 今では毎日4回、自分で血液の検査をしている。検査キットを使い、数値が5以内のときは糖分入りの水を飲み、8以上になると糖分無しで食事も控える。20以上になると、水以外はまったく摂取できなくなるという。そうなったときは自分自身をコントロールできなくなり、狂乱状態になるらしい。生まれたときから父親がおらず、地雷被害に遭ってからも母親にすら会えないコム君。貧困と地雷被害を引き起こす悲劇がそこにあった。

相思相愛の親子

 06年5月20日、コム君の話を聞いた2日後、セックソック村を訪問した。この村には10人の地雷被害者がいる。子どもたちはUXO(不発弾)を知らず、触れたらどうなるのかも分からない。地雷やUXOを使って魚を捕ろうとして事故に遭う人もいる。村ではコム君の兄が叔父とともに働いており、コム君の祖父母も同居していた。
 CMCが尋ねてくるということを聞き、母親がタイ国境から叔父の家まで駆けつけてくれた。コム君が被害に遭ったときも母親は遠くで働いており、叔父がコム君に付き添ってエマージェンシーに運んでいた。足を奪われた彼の将来を考えた末、施設に預けることを決意したという。
 食べ物、教育、仕事―、障害を負ったコム君にそれらを提供できない…。とくに今回印象に残っているのは、「NAG(寂しい、恋しい)?」と聞いたときに、「NAG KRA(とても、とてつもなく、恋しい)」と涙をいっぱい目に浮かべて答えた母親の表情だ。想いのこもった言葉で、その顔は彼女の心中を物語っていた。
 事故後、6年間でたった1度しかコム君に会っていない。心配で、恋しくて、会いたくて…。本当に胸が張り裂ける想いだろう。子どものことを想わない母親はいない。今は遠い空の下、ともに暮らせる日を願いつつ働き続けるしかないのだ。

カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)代表
大谷 賢二 氏


COMPANY INFORMATION 
カンボジア地雷撤去キャンペーン 〒814-0002 福岡市早良区西新7-1-58
TEL:092-833-7676 FAX:092-833-7677 URL:www.cmc-net.jp

PROFILE 
大谷賢二[おおたに・けんじ]
1951年福岡市生まれ。九州大学法学部卒。
学生時代より国際・平和問題に関心が強くこれまでに79カ国訪問。
日本初のパラグライダーインストラクターとして「日本選手権大会」「アジア大会」など企画運営。
1990年「アジア太平洋こども会議in福岡」のイベントで日本イベント大賞奨励賞受賞。
1998年5月NGOカンボジア地雷撤去キャンペーン結成。
2006年3月西日本国際財団「アジア貢献賞」受賞。
2006年12月日本国際連合協会表彰受賞。本業は広告イベント業。NGOカンボジア地雷撤去キャンペーン代表、NPO法人福岡歴史研究会理事長、NPO法人NGO福岡ネットワーク理事。

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