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ニジェール奮闘記(12) 番外編 南フランスの旅(2)
特別取材
2009年8月21日 17:32

 マルセイユを出発した私は、急行で30分ほどのアヴィニョンという町に向かった。アヴィニョンを拠点にすれば、南フランス各観光地への移動がスムーズである。アヴィニョンでの宿には、日本人の方がいて、その方が対応してくれた。久しぶりに協力隊以外の日本人と話せたと感激したものである。食堂には、京都や東京など日本各地の観光地の写真が貼られていて、ふと懐かしく感じた。
アヴィニョン教皇庁宮殿 アヴィニョンが世界的に知られているのは1309年、時のローマ教皇クレメンス5世の『アヴィニョン捕囚』である。これは、フランス王フィリップ4世がキリスト教世界の最高権力者である教皇をフランス領に捕え、自分の思い通りに操ってしまうというもの。1377年にグレゴリウス11世がローマに戻る7代68年間の間教皇たちの座所となっていたのがアヴィニョンの教皇庁宮殿である。つまり、その当時の世界の中心だったといえる。教皇庁宮殿の内部のものはフランス革命のどさくさに紛れて外に持ち出されてしまい、その当時の華やかさを伝えるものは残されていないが、とにかく巨大であり、「これが教皇の権力か」と圧倒される。また、世界遺産に登録されている歴史地区は堅固な城壁の内側にあり、今でも敵を寄せ付けない威容を保っている。
 現在では多くの観光客で賑わう小さな町であり、14世紀に世界の中心であったとは思えない。現在の町の規模からすれば異様ともいえる教皇庁宮殿を見ると驚くが、路地を入れば、まるで中世の町に迷い込んでしまったような石畳と、小粋なお土産物屋が並んでいる。
サン・べネゼ橋 アヴィニョンが世界的に知られているもう一つの理由は、童謡『アヴィニョンの橋の上で』である。この橋の正式名称は『サン・べネゼ橋』といい、完成当時は22のアーチでかかっていたのだが、17世紀の洪水で橋の半分が流されてしまっており、その後に修復しようにも大流行したペストによって修復もできず、そのまま現在に至っている。ちなみに、童謡『アヴィニョンの橋の上で』が完成したのは、橋が現在の渡れなくなって1世紀経った後のことである。
 アヴィニョンにかかわらず、フランスの町ではオープンテラスで食事をする風景がよく見られる。私がフランスに旅行したのは9月下旬だったが、かなり冷え込んでいた。寒い空の下、テラスで食事をするフランス人をよく見る。フランスを旅行していると、テラスで食事をする機会は多い。
そこで気をつけたいのは、食事の注文の仕方である。とにかくフランスの料理は量が多い。メニューには『MENU(ムニュ)』と書かれたコース料理が出されているが、日本でいう『メニュー』とは違う。3品しか出ないと思ってうかつに注文すると、1品ごとの量が非常に多いため、全部食べようとすると、大食漢の方ではないとちょっときついかもしれない。注文するとしたら1品ずつの『アラカルト』にしたほうがよいと思われる。

~つづく~

【廣瀬】

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