鹿児島のマンション代金の回収が不調に終ったことが今回の大きな要因となっているが、数年前まで借入金も少なく、優良企業と見られていた同社が短期間で凋落したのは、無理な受注の影響による。今シリーズの(8)(9)で述べたとおりだが、2年前に販売が計画通り進まず、マンションを代物弁済で引き取ったことが、大きく計画を狂わせたようだ。
販売すれば代金は入るが、元々ゼネコンである同社が、本業であるデベロッパーが販売できなかったマンションを簡単に売りさばくことが出来るはずもない。当然、この分の資金計画が狂うこととなる。下請や建築材料費は当然支払わなければいけないので、同社の資金需要は一気に逼迫することとなったようだ。
当時、回収できなかったのは10億円にも上り、そのため約5億円の資金が必要に迫られることとなった。しかし、時代は折からのリーマンショックの影響もあり金融機関の目は非常に厳しい。そのとき持ち上がったのが、鹿児島のマンションだ。「資金繰りの資金は融資できないが、工事見合いだと可能」と金融機関に持ち込まれていた同社は、渡りに船と飛びついたようだ。この結果、当時を凌ぐことができたわけだが、この鹿児島の物件の販売も芳しくなく、結局は延命したに過ぎなかった。「たら・れば」は後の祭り。「引き取ったマンションが売れれば」「鹿児島のマンションが計画通り進んでいれば」「社長・副社長が逮捕されなければ」とも言われるが、結局は無理な受注がクビを締める結果となった。
【石崎】
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