九州古代史を思う~「倭奴国」から「日本国」へ(4)
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「魏志倭人伝」について
北部九州古代史にとって「魏志倭人伝」を読み説くことが、重要なカギを呈することになると思います。
中国が「魏・蜀・呉」の三朝に分立していた「三国時代」の歴史を記録した正史が「三国志」であり、そのなかで倭奴国の倭人並びに国情を約2,000文字を用いて詳しく記しているのが「魏志倭人伝」です。
この「魏志倭人伝」に記された「邪馬壹国」を、日本のどこに位置すると考えるかによって、日本古代史の全体像がまったく違った物になってきます。
私なりに古代年表の概要を作成してみたところ、下記のような歴史が見えてきました。「西暦57年、漢の皇帝へ使者を送る」。これは「な~んだ倭奴国が中国へ使者を送ったのか」では済まされない重大な出来事が記載されていると考えます。それは「倭奴国が、なぜ・どのようにして漢の皇帝の存在を知り」、「使者がどのようなルートで、貢物を持参してまで漢へ行ったのか」ということです。
おそらく、始皇帝を騙したようなかたちで逃げてきた徐福が、始皇帝から探索されないように自ら使者を当時の首都、洛陽へ遣わしたルートが「魏志倭人伝」に出てくる行程と考えるのが自然ではないでしょうか。後の「遣隋使」と「遣唐使」も使用するルートです。(つづく)
【古代九州史家 黒木 善弘】関連記事
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