2024年04月19日( 金 )

メディアを「生態系」として捉えるネット社会(4)

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関西大学総合情報学部特任教授 松林 薫 氏

信頼性や倫理をめぐる議論に火がついた

 ――近刊『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社)が評判です。先生は本著を通じて、何を一番に読者へ訴えかけたかったのでしょうか。

 松林 私にとっては『新聞の正しい読み方‐情報のプロはこう読んでいる!』(NTT出版、2016年3月発刊)に続く2冊目となります。前回の拙著の発刊後、英国のEU離脱やアメリカの大統領選でフェイク(偽)ニュースが国際社会を大きく動かしました。結果的に、読者の注目が集まる時期に本著を出版でき嬉しく思っています。
 2017年は、日本のジャーナリズムにとって転換点だったといわれる年になるような予感がしています。その理由の1つは、今までお話してきたように、ネットジャーナリズムの世界で、信頼性や倫理をめぐる議論に火がついたことです。実際、フェイスブックがフェイク(偽)ニュースを警告する仕組みを導入したり、グーグルが質の低い「まとめ記事」の表示順位を下げたりという対策が進んでいます。

伝統的ジャーナリズム論の限界が明らかになった

 もう1つの理由は、SNS(ソーシャルネットワークサービス)を始めとしたインターネットの影響力が強まったことで、従来の伝統的「ジャーナリズム論」の限界が明らかになりつつあるということです。すなわち、ジャーナリズム論がジャーナリストおよび新聞社やTV局などの報道機関だけのものではなくなったということです。
 従来のジャーナリズム論が取り上げてきたのは、報道に携わる「プロ」の責任や役割でした。しかし、ネット社会になって、メディア関係者だけではなく、一般市民もジャーナリズム論を学び、自らの役割を自覚し、ある種の技術や能力を獲得する責任が生じていると思ったのです。本著では、こうした問題意識を出発点に、ネット情報との付き合い方を読者と一緒に考えていきたいと思いました。

 ネット社会を迎えて、既存メディアが変化を迫られていることは間違いありません。市民からの圧力や監視が強まることで、これまでも批判を受けてきた望ましくない慣行や制度は改めざるを得なくなるでしょう。自らを律し、無用な不信を招かないようにする努力を、今のメディアが充分にできているとは私は思っていません。しかし、建前や理想論ではなく、ジャーナリズムが「市民のもの」である時代が来つつある以上、メディアと市民の双方に課題があることも事実なのです。

読者を意識して記事を書く際には“忖度”する

 ――本書のなかで、メディアの5つの制約条件に触れています。簡単にご説明いただけますか。

 松林 インターネット上で見ることができるコンテンツには、民放テレビ局、NHK、新聞、雑誌、ネット専業メディア、個人のブログなど多種多様なものがあります。もちろん、同じテレビや新聞の中でもビジネスモデルや政治的な立場などは大きく異なります。そこで、こうしたそれぞれのメディアについて、発信できる情報の限界、言い換えれば制約条件を意識しておく必要があります。
 私は、(1)取材の限界、(2)時間の限界、(3)字数の限界、(4)読者の限界、(5)収益の限界――の5つに分類しています。

 (1)の「取材の限界」とは、各メディアが取材に投入できるリソースには限りがあるということです。テレビや新聞といった既存メディアは、自社でストレートニュースを報じられる体制(記者の数が多く、主要企業や役所、海外にも取材拠点がある)が整っています。客観的な一次情報を得られる可能性が高いといえます。ただし、繰り返しになりますが、たしかな一次情報を報じることが、その報道機関の「中立公平」を必ずしも担保しているわけではありません。

 (2)の「時間の限界」とは、わかりやすい言葉でいえば、締め切り時間による制約です。どんなメディアにも「締め切り時間」がありますし、TV局には「放送枠」があります。

 (3)の「字数の限界」とは、報道できる情報量の物理的制約のことです。新聞は文字通り「字数」制限があり、TVは「時間枠」で縛られています。このことは、どんな媒体であっても、記事が紹介しているのは、たくさんある事実や意見のほんの一部であることを意味しています。

 (4)の「読者の限界」とは、受け手である読者のニーズに発信側が合わせることから生じる限界のことです。巷には、「朝日はリベラルで、産経は保守で世の中を洗脳しようとしている」という、うがった見方があります。しかし、この新聞社に対するイメージは、私の経験からいうと個々の記者には当てはまりません。朝日にも保守の考えを持つ記者はいますし、産経にもリベラルな考えを持つ記者はいます。
 就職試験で新聞記者は狭き門です。3社、4社受験するのが一般的です。運良く新聞社に採用されたとしても、その社風や政治的傾向が自分とぴったり合っているとは限りません。しかし、その彼らもいったん記者になると自分の新聞の読者を意識し、流行りの言葉でいえば“忖度”して記事を書くことになるのです。とくに現在は、企業としてのガバナンスが厳しくなっています。「いかにも○○新聞らしい記事」が増えるという意味で、記事の純化がどんどん進んでいます。

 (5)の「収益の限界」とは、ビジネスモデルから来る制約を意味しています。伝統的なメディアでもネットメディアでも、収益の柱は広告収入と販売収入です。広告収入からは、スポンサー(新聞の広告主、TV局の大口スポンサーなど)に対する遠慮、配慮が報道にも影響を与えます。NHKは視聴者から得たお金で成り立っていますが、そのお金の使い道には国会の承認が必要で、また会長など幹部人事でも政府や国会議員の意向を無視することができません。そのため多かれ少なかれ、政治的な圧力が避けられない構造になっています。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
松林 薫(まつばやし・かおる)
1973年広島市生まれ。京都大学経済学部、同修士課程を修了後、99年に日本経済新聞社に入社。東京と大阪の経済部で、金融・証券、年金、少子化問題、エネルギー、財界などを担当、経済解説部で「経済教室」や「やさしい経済学」の編集も手がける。14年10月に退社。同年11月に株式会社報道イノベーション研究所を設立し、代表取締役に就任。16年4月より関西大学総合情報学部特任教授(ネットジャーナリズム論)。
著書として『新聞の正しい読み方 情報のプロはこう読んでいる!』(NTT出版)、『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社)。共著として『けいざい心理学!』、『環境技術で世界に挑む』、『アベノミクスを考える』(電子書籍)(以上、日本経済新聞社)など多数。

 

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