2024年03月29日( 金 )

林業の大隅と歴史の飫肥 現有資産の最大限活用で地域活性化(後)

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 九州地方の最南部に位置する2つのエリアで、経済活動が進化し続けている。1つ目は、鹿児島県と宮崎県の森林組合が連携した木材輸出促進協議会が取り組む、林業を通しての地域活性化。2つ目は、宮崎県日南市にある城下町・飫肥の城下町保存会が中心となったまちおこし。両エリアの取り組みに共通するキーファクターは『現有資産の最大限活用』である。

由緒ある城下町・飫肥

 『九州の小京都』と称される宮崎・飫肥(おび)。宮崎県の南部、日南市の中央部に位置する町だ。
 飫肥の歴史を紐解くと、平安時代まで遡ることができる。平安時代承平年間(931~938)の『和名類聚妙』には「飫肥郷」の地名が記されている。時代は下り、安土桃山期の天正16年(1588年)に伊東祐兵が飫肥城に入り、伊東家が飫肥を治めることとなった。

 慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦で伊東家は徳川家康につき、慶長9年(1604年)に石高5万7,080石の飫肥藩を佑兵の嫡男・伊東祐慶が藩主として元和3年(1617年)2代将軍徳川秀忠より飫肥藩の所領安堵の朱印状を受けた。以来、14代に渡り飫肥藩主として、廃藩置県に至るまで家名をまっとうした。

 このように、飫肥は由緒ある城下町である。また、明治期の桂太郎内閣で外務大臣を務め、日露戦争後のポーツマス条約締結を推し進めた小村寿太郎の生誕の地としても有名だ。

昔は、城の見物だけ

 飫肥の町には、かねてから歴史ファンを始め全国各地から旅行者が訪れてきた。歴史情緒があふれる飫肥の町は、飫肥城を中心に城の大手門へと通じる大手門通り、武家屋敷通り、後町通り、無田町通り、前鶴通り、そして本町商人通りなどそれぞれ趣のある町筋のそれぞれに旧家や商家、古民家などが軒を連ねている。現在、それらの家屋ではさまざまな商店が営業している。

 (一財)飫肥城下町保存会事務局長の後藤廣史氏は、「昭和の時代は、宮崎は新婚旅行のメッカでした。新婚旅行客は宮崎市内の観光や風光明媚な青島の海岸を訪れ、飫肥にも足を運んでいました」と回想する。しかし、訪問客は城内を散策するだけが大半で、商店まで足を運ぶ人はほとんどいなかったという。

国の保存地区に指定

 その後、飫肥は1977年5月に文部大臣から九州・沖縄地方で最初の『重要伝統的建造物群保存地区』として選定される。これは、市町村が条例などで決定した「伝統的建造物群保存地区」のうち、文化財保護法第144条の規定に基づき、とくに価値が高いものを国が選定するものだ。

 保存地区に指定された地域は、城下町時代の道路や地割が良好に保存されている。石垣、土塀、生垣で囲まれた武家屋敷跡が残る。保存地区には飫肥城跡のほか、最後の藩主伊東祐帰が暮らした邸宅である豫章館、藩校の振徳堂、小村寿太郎生家など、前出の町筋と八幡通り、横馬場通りを含む約19.8haが該当する。

 この選定がターニングポイントとなって城の復元工事が始まり、本町商人通りの道路拡幅工事など、武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀などが残る町並みを生かした整備が実施された。

新旧融合のまちづくり

 飫肥城だけでなく町全体が活気づく取り組みとして、2009年4月より飫肥城下町保存会の呼びかけで、町内の商店と連携して『飫肥城下町食べあるき・町あるき』という企画がスタートした。
内容は、飫肥城下町の7施設、商家資料館や旧山本猪平家、旧高橋源次郎家などに入館できる共通券(610円)と、44店舗のなかから選んで使える商品引換券5枚のセットで1,200円。施設3カ所の入館共通券料と引換券5枚のセットで700円という2つのパターンが用意されている。

 同企画は好評を博し、城の中を散策・見学した後、本町商人通りを中心とする商店街を回る人々が増えた。「(食べあるき・町あるき企画は)お客さま、店舗双方にとってハッピーであり、楽しんでいただいております。飫肥には、食料品、飲食、雑貨など飫肥の伝統を生かした商品を販売するお店や、昔の家屋を生かしたカフェなどもあります」(後藤事務局長)という。

 実際に、城内の観光案内所、町中の商家資料館、旧山本家と高橋家の家屋、本町商人通りの商店、武家屋敷通りのギャラリーを訪ねたところ、各所の案内担当の方や商店の方々は全員親切丁寧で、温かな対応でもてなしていただいた。じっくり会話を楽しみながら、お土産などの買い物や飲食を楽しむことができる。

 「国内のお客さまを始め、近年は中国、台湾を中心とした海外からのお客さまの訪問が増加しております。油津港にクルーズ船が着き、乗客の皆さまは宮崎の観光に繰り出します。観光バスが100台、約4,000~5,000名の方々が訪問されます。飫肥城の駐車場に100台ものバスは停められないので、3グループくらいに分かれ、それぞれが各地を順番に回りながら分散して来訪されます。16年は22回寄港がありましたが、17年12月の段階ですでに22回を超えました。今後も増加が予想されております」(後藤事務局長)。

 地域の価値創造の一環として、古民家の活用も積極的に推進している。後町通りにある合屋家、前鶴通りにある勝目家の屋敷家屋は、1日1組限定(定員6名)の宿泊施設として活用され、現在の月間平均稼働率は約50%。また、東京に本社があるクリエイティブ系の企業はサテライトオフィスとして古民家を再活用し、地元から人材を採用するなど、雇用で貢献する。

 今後は、「商店の世代交代を実施し、若手が活躍できる環境をつくっていくとともに、インバウンドのお客さまへのより発展的なサービスを検討していきたいです。また、古民家の有効活用として宿泊施設や全国の企業を誘致してオフィスを置いていただくなど、より町を活性化して飫肥の町を進化させていく取り組みを強化していきます」(後藤事務局長)としている。

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 志布志は林業で、飫肥は歴史と伝統で地域活性化に取り組んでいる。分野は異なるが、共通するキーワードは、「現有資産の有効活用」だ。地域を見つめ直し、できることから情熱をもって実践していく。産業の衰退や人口減少といった厳しい条件の下でも、アイデア次第で活性化を目指すことは可能だということを示している。

(了)
【河原 清明】

 
(中)

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