2024年03月29日( 金 )

平昌五輪閉幕 水面下で激しく動く朝鮮半島(前)

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 古くはナチスのショーウィンドウと化した1936年のベルリンオリンピック、泥沼の日中戦争で開催できなかった1940年の東京オリンピック、そして冷戦期では東西両陣営がボイコット合戦を繰り広げた1980年モスクワ、1984年ロサンゼルス。「平和の祭典」であるはずのオリンピックは、その時代の国際政治に大きく左右されてきた。平昌オリンピックもまた、主催者による露骨な政治利用が目立った。一方で、オリンピック・パラリンピック期間は、北朝鮮核問題にとっては「休戦期間」。3月のパラリンピック終了後、事態はどう動くのだろうか。

政治的色彩を帯びた五輪

 国際政治の舞台になった平昌五輪が閉幕した。これほど政治的イシューに彩られた五輪は、見たことがない。「選手ファースト」の精神を、IOC(国際五輪委員会)自身が破り捨て「平和の祭典」という政治的スローガンが前面に出てしまった大会だった。パラリンピック期間を経て、朝鮮半島は核危機をはらんだ「平時」へと戻るが、祭りの後の疲労感は強い。

 南北首脳会談を呼びかけた北朝鮮に対して、韓国の文在寅政権は同調したいところだが、半島の脆弱政権はそういかないジレンマにある。北朝鮮が「平和攻勢」に出たのは、国際的な経済制裁が効き始めている証左でもある。誇り高い三代目・金正恩は今後も国際制裁に我慢できるだろうか?

 「親(国家)がダメでも、子(選手)は育つ」。
 平昌五輪の韓国選手団を見た率直な印象だ。1988年のソウル五輪と較べると、当時は韓国の選手育成は国家ぐるみだったが、今回は「個人の充実」ぶりが目についた。

 その典型が、韓国政府から無理矢理、南北合同チームを結成させられた女子アイスホッケーだ。4戦全敗という予想通りの結果だったものの、日本戦を含めて計2点の得点をあげた。米国・カナダ二重国籍の監督に加え、米国生まれの韓国人選手、さらにけなげにチームに適応しようとした北の選手たちの頑張りが目立った。

 南北両政権は南北合同チームの結成、金正恩の妹・与正や美女応援団の韓国入りで「南北融和」ムードを演出したが、21世紀の韓国世論が「南北統一」の幻想から覚醒していることに、気づいていなかったようだ。

 「統一」カードは、20世紀終盤には効き目のあった麻薬のようなものだったが、現在ではすでに薬効期限間近になっていた。南北合同チームに寄せられた韓国民の同情は、個人(選手)より国家・民族が優先される体制への反発だった。これが韓国社会の「成熟」といえる現象だ。

韓国社会の現在地

 これとはまったく逆の現象が表面化したのが、アイススケート女子パシュートの醜態だ。背景には代表選手選出をめぐるアイススケート団体幹部のミスで、選手が幹部や同僚選手を批判したことにある。レースで韓国チームは、この選手だけを置き去りにしてゴールイン、国民をあぜんとさせた。この事件は個人と国家が調和性を欠き、それを調整すべきマネジメントが未熟なままだという韓国社会の現在地を示したものだといえる。

 韓国社会は伝統的に地縁、血縁、学閥間などの「確執」が顕著だ。韓国社会が民主化とともに上昇期にあった1980年代は、この確執が解消される傾向にあった。しかし、相次ぐ左右両極の政権交代、韓国資本主義の急落(IMF危機)もあって、内部分裂と格差拡大の傾向が強まった。今回の平昌五輪は、ソウル五輪の成功という「夢の再現」を目指してスタートしたが、それを支える国民的和合はすでに失われていた。この状況に揺さぶりをかけてきたのが北朝鮮の「平和攻勢」だが、北に対する統一幻想もすでに、若年層を中心に失われつつあったのである。

(つづく)

<プロフィール>
shimokawa下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授(マスメディア、現代韓国論)を歴任。現在、著述業(コリア、台湾、近現代日本史、映画など)。最新作は「忘却の引揚げ史〜泉靖一と二日市保養所」(弦書房、2017)。

 
(後)

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