2024年04月20日( 土 )

佐川氏証人喚問でわかった、国会議員の法的無知(後)

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青沼隆郎の法律講座 第2回

政治犯罪の立証方法

 立証・証明を客観的物証によるものと限定する思考は、自然科学の証明論理の影響による。自然科学の証明は客観性・再現性を基本としているため当然の帰結である。他方、客観性はともかく、再現性は問題にならない刑事犯罪の証明には客観的物証に局限する合理性はまったくない。いわんや客観的物証を慎重に事前排除・隠蔽した政治犯罪の立証の程度と内容は、それらの状況に応じたものでなければならず、また、それで十分である。自然科学では用いられない状況証拠・行動証拠という概念が存在することが、その良い例である。

 人間の行動に関する証明論理には自然科学にはない「経験則」という概念がある。大多数の人間の経験により観念化された判断基準である。政治責任は経験則によって認められても「証明された」といえることがその特徴である。

 刑事責任論では「忖度」は証明不可能な事項である。なぜなら忖度は行為者の内心の状況だからである。刑事責任論では内心の状況を主観的要件、要素として客観的要件要素と区別して論じなければならない。

 「故意」である。しかし、故意を直接証明することは当然不可能で、一定の行為の存在をもって「故意がある」と認定しなければならない。そこには暗黙のうちに人間の経験則が存在する。

 たとえば拳銃で相手の急所を狙って発砲した場合、殺人の故意がなかったとの弁解は通用しない。本心では、ただ脅かす意味で発砲したものが、たまたま急所に命中した場合も含め、殺人の故意が認定される。加害行為が拳銃を用いて行われた場合には、「相手が死ぬかもしれない、死んでもよい」という内心の状況を「未必の故意」と概念定義して「故意」を認定しやすくする法技術も存在する。 このように、経験則は刑事証明論においても極めて重要な役割をはたしている。

 経験則を条理と表現する場合もある。この経験則が極めて重要な機能をはたすのが、「内心の状況・直接証明が不可能という特性」を悪用した「記憶にありません」という証言に関する証明論である。

「記憶にありません」証言の糾弾方法

 この記憶無証言は広く裁判の現場でも多用されている。裁判官はこれにどう対応しているかというと、極めてシンプルに対応している。それは「信用できる」か「信用できない」かのどちらかの結論を出すだけである。もっとも、その理由に、「全証拠を総合的に判断して」とか「弁論の全趣旨」などの、それ自体確認しようがない理由が付記されるのが通常である。

 裁判官(判定権者)が、その見本を示しているのだから、国会議員もそれに習えばよい。委員会として記憶無証言の信用性について、すぐ判断を出せばよいのである。多数決の論理を悪用して自民党が証人の記憶無証言を「信用できる」と結論づければ、それ自体の合理性が国民に問われるだけである。

 極めて重要なことであるが、裁判では、この記憶無証言には強力な反撃が認められている。たとえば、安倍昭恵夫人が森友学園の籠池泰典前理事長に安倍晋三名義で100万円を寄付したことについて「記憶がない」と証言した場合、籠池氏の証人喚問が弾劾証拠として保障されている。このため、裁判の実務では相手のある記憶無証言の威力はさほどない。国会の証人喚問だけに大いに活用されているに過ぎない。証人喚問が「野党議員のスタンドプレイの場」と揶揄されるゆえんである。

(了)
【青沼 隆郎】

<プロフィール>
青沼 隆郎 (あおぬま・たかお)
福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。

 
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