2024年04月19日( 金 )

中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(5)~日本一の巨大小売・流通企業ダイエー

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理念の根底にある戦争体験

 ここで、ダイエーが南海ホークスを買収する1988年までの創業者・中内功氏と会社の歴史について簡単に触れておく。

 中内氏は1922(大正11)年8月2日、大阪府西成郡伝法町で中内秀雄とリエの長男として生まれる。神戸三中(現・兵庫県立長田高等学校)を経て、兵庫県立神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)を卒業後、43(昭和18)年、広島の野戦重砲兵第4大隊に入隊。翌7月、フィリピンの混成五八旅団に所属し、ルソン島リンガエン湾の守備に就き、激戦が続く前線で死と隣り合わせの過酷な日々を送る。敵からの手榴弾によって負傷、死を覚悟したこともあったという。
 45年8月、投降しマニラの捕虜収容所生活を送るが、同年11月に何とか神戸の生家に生還をはたした。

 中内氏は、戦争の前線で、日本とアメリカの食料など物資の違いに衝撃を受けたという。その体験が、後に創業するダイエーの経営に強く影響しているようだ。

“庶民の味方”ダイエー

 復員後は、父が経営する薬局に入り、48年に元町高架通に開店した「友愛薬局」で、業者相手の闇商売を行ったり、次弟が出店した医薬品の現金問屋「サカエ薬局」を手伝ったりしていた。57年4月、神戸市長田区に資本金400万円で「大栄薬品工業(株)」を末弟と設立し、製薬事業に参入。だが、この事業は長くは続かなかった。
 同年9月、大阪市旭区の京阪本線千林駅前の千林商店街内に『主婦の店ダイエー薬局店』をオープンした。この店がダイエー1号店であり、ダイエーの歴史はここから始まった。当初は、医薬品や食品を安価で売っていたが、後に食料品の分野へと進出する。

 翌58年には、神戸市に三宮店を出店し、早くもチェーン店展開を開始した。さらにその翌年には、社名を「(株)主婦の店」に変更、店舗名を「主婦の店ダイエー」とした。そして、同年7月、(株)主婦の店を「(株)主婦の店ダイエー」に商号変更、62年には日本で初となる700坪のスーパーを千林に出店、売上高も100億円を突破する。

 ダイエーは、既存の価値観や概念に対して戦いを挑み、流通業界に革命を起こした。当時、商品を販売する価格はメーカーが決めていた。それが当たり前の時代であった。高度成長期に入ったとはいえ、物が少ない時代である。メーカーの立場が強いのは、市場原理からみても当然ともいえた。そこへ「良い品をどんどん安く売る」という価格破壊を起こしたのだ。
 中内氏は、商品をつくるメーカーではなく、商品を購入する消費者の立場に立ってくれる、いわゆる“庶民の味方”であった。人々は大いに喜び、ダイエーは庶民からの支持を集めた。ダイエーは、さらに価格破壊を推し進め、人々の生活をより豊かにした。日本中の生活者がその恩恵を受けたといっても過言ではない。

松下電器にも信念を通す

 ダイエーは、“経営の神様”とも称された松下幸之助氏が率いる松下電器にも価格破壊を仕掛けた。松下電器の家電をダイエーが安く売る。それも松下が値引き額としていた許容範囲を超えての安売りを行ったため、それを快く思わない松下側が、商品の出荷停止を行う。ダイエーは、この行為は独占禁止法に抵触する可能性があると、裁判を起こした。
 また、ダイエーはプライベートブランドの開発を進め、格安のカラーテレビを市場に投入するなどして、松下との対決姿勢を崩さなかったため、両社の対立は10年余続いた。世にいう「ダイエー・松下戦争」である。

小売日本一、売上高1兆円を達成

 中内氏が安い価格を提供するために戦う姿勢は大衆に支持され、店舗網を全国に広げ、それに比例して売上も拡大。71年3月1日に大証(現在の東証)二部、翌72年3月には東証一部に株式上場をはたした。また、ダイエーはこの年、三越を抜いて小売業で売上高日本一を達成する。

 75年には、ローソンの前身の1つとなるダイエーローソン(株)を設立し、コンビニエンスストア業界へも進出するなど、その勢いは止まるところを知らない。そして、80年、業界初の売上高1兆円突破を成し遂げた。
 ダイエーは、事業の拡大にともない企業提携や買収なども行い、小売以外にもホテルや出版、金融、大学など、さまざまな事業に進出をはたす。

 九州とは、早い時期から関係があったようだ。63年に(株)フクオカダイエーを設立し、九州への進出をはたしている。81年にはユニードと合併し、九州を中心に西日本で展開していた同社の店舗をグループに加えた。

 高度成長という時代の波にも乗ったダイエーは、急速に事業を拡大。全国のスーパーマーケットを傘下に納め、多角化の効果もあって、グループ売上高3兆円、従業員10万人の巨大企業グループを形成していった。

 中内氏は、新しい業界も開発した。飲食店や小売店など複数の店舗で構成するショッピングセンター(SC)や、食料品や日用品に加え、衣料品や装飾品、家具・家電など総合的な品ぞろえを実現するゼネラルマーチャンダイズストア(GMS)を日本で初めて導入するなど、常に小売・流通業界の先頭を走り続け、日本の小売・流通業界が大きく飛躍するモデルをつくり上げた。また、日本チェーンストア協会や流通科学大学を設立するなど、小売・流通業界の発展にも寄与した。

(つづく)
【宇野 秀史】

 
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