2024年03月30日( 土 )

溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか~九州建設まで溶けるの、溶けないの(1)

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九州屈指の老舗ゼネコンもM&A

 2月24日、NetIB-Newsで下記のように報じた。

九州屈指の老舗ゼネコンもM&Aされる 徳倉建設が九州建設を買収

 徳倉建設(株)(所在地:愛知県名古屋市、徳倉正晴代表)は24日の取締役会において、九州建設(株)(所在地:福岡市、得丸正英代表)を子会社化することを決めた。320万4,398株(議決権所有割合84.78%)を取得する。株式譲渡実行日は4月5日を予定。子会社化することで九州地区における共同営業体制、建築・土木の技術的補完体制、海外を含めた工事施工要員の人材交流等、シナジー効果が期待できると判断した。

 九州建設は通算業歴100年を超える九州でも屈指の老舗ゼネコン。16年5月期の売上高は99億円。徳倉建設は中部地区に基盤を持つ中堅ゼネコンで、16年3月期の売上高は441億円(連結)。

 まずは、この情報には奇異感は抱かなかった。あり得るというか、想定はできるものであった。そこで「なぜ、今回のM&Aが成功したのか」を自問自答した。得た結論は、下記の3点の要因が見事に絡み合って成功したのである

 今回のM&Aが成就できた要因は、3点挙げられる。
 (1)まずはM&A金額が関係者に納得されたことである。そして、(2)辻長光会長を筆頭にした九州建設関係の一族が賛意でまとまったことだ。さらに(3)キーポイントになる福岡銀行が賛同したからである。

 この3項目を緻密に点検・解明し、『九州建設が溶けるのか溶けないのか』をレポートしていこう。

まずは福岡老舗のゼネコン・九州建設の歴史

 まずは、九州建設の沿革から紹介していこう。

 1894年10月に、辻松之助氏が辻組として個人創業した。この創業者は、現在の辻家の筆頭である辻長光氏(九州建設会長)の曾祖父にあたる。
 福岡の老舗“三羽烏”は、岩崎建設(福岡市中央区西中洲)、高木組(福岡市中央区平尾、すでに倒産)、そして辻組であった。一説では、岡部組も該当する説がある。天下の松本組よりも古いのだ。少なくとも20年前までの建設業界では、『辻組』の存在は他者を圧倒していた。

 さて話を進めよう!! 1919年10月に合資会社に組織変更し、代表社員に辻長次郎氏が就任した。2代目になる。49年3月には辻建設(株)に商号変更したが、すでに同じ社名があり、同年6月に(株)辻組へ商号変更したのである。そして72年1月に3代目として辻長英氏(現在・九州建設名誉顧問)が就任した。長英氏が社長を務めていた時代、72年から90年までの18年間が会社としては絶頂のときであったであろう。
 90年に九州建設へ商号を変更した。そして97年7月には長英氏が社長を退任し、満を持して息子の長光氏が4代目として社長に就任。一時は、上場も検討していたと言われていた。

 ところが、2009年6月にマンションデベロッパーの(株)ユニカに焦げ付いて以降、福岡銀行の管理状態になった。長光氏が社長を降り、実父・長英氏が社長にカムバックした。さらに、生え抜きの徳丸正英氏が社長に就任するなど、混迷の状態が続いていた。
 ここにM&Aの情報が飛び込んできたのである。

(つづく)

 
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