2024年04月19日( 金 )

上海の激変~ある日本人経営者から垣間見る(5)

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経済成長率でわかる沈む日本、日の出の勢い中国

日本・中国の経済成長率(1980-2017)

 まずは日本・中国の経済成長率から眺めてみよう。1980年から2017年の比較である。日本が中国を上回ったのは1989年、1990年の2回だけである。(日本は5.42%、5.26%。中国は4.20%、3.90%)。この2年間は中国国内では政治動乱が起きて次への飛躍へ向けての踊り場であったのだ。また日本は最後のバブル満悦の絶頂期という時期であった。

 その後は日本の経済成長率は惨憺たるものである。信じられないようなマイナス成長も経験した。バブルが弾けた1992年には日本は0.20%であり中国は飛躍の踊り場となった年となり13.90%という驚異的な数字を残した。日本との差は13.70ポイントである。

 リーマン・ショックの後遺症が残る2009年には日本はマイナス5.42%の破滅的な記録となり、中国は9.20%と世界の経済立て直しの牽引車役を担った。その差は14.62ポイントついた。

 この27年間の経済成長率を比較しても沈む日本、日の出の勢いの中国ということが理解できるであろう。現在、中国と日本の経済規模の差が2.5倍に広がっている事実を知る必要がある。またこの経済成長率は中国全体の指数である。経済先進地域・上海の成長率ははるかに上回っていることを認識すべきである。

上海人口2,415万人(2013年)

 1989年初めて上海に行った際の人口は1,400万人、盲流(田舎から流れてきた労働者たち)200万人と言われていた。それから24年経過して、さらに1,000万人増加している。もちろん、盲流といわれる人たちは含まれていない。福岡市の人口約160万人と比較すると上海2,415万人であるから、15倍の規模の都市かと驚くかもしれない。

 市の面積を参考にしよう。上海市行政面積は6,340km2(福岡県は4,971km2)で、福岡市のそれは340km2である。興味あるデータ結果になっている。人口・面積での規模がちょうど18倍になっているのである。

 次回、最後の結びで触れるが、平均寿命を紹介しておく。上海の男性の平均寿命は80.18歳、女性は84.67歳となっている(2012年)。意外と長寿なのだ。上海あちこちの公園で老人たちが太極拳で体調を整えているのを頻繁に見かける。筆者が上海と接触するようになって30年になるが、この期間に老人社会へと変貌することは想像もできなかった。

 1989年当時、1,400万人のマンモス都市には地下鉄が無かった。住民たちは自転車とバスで街中を移動していた。上海市政府はすぐさま都市交通計画に沿って1993年に初めて地下鉄を開通させた。現在、15路線・387駅・区間距離637kmまで拡大させた。営業距離はすでに東京地下鉄を抜いた。何事にも実施スピードが迅速なのである。

浦東開発の成功が世界の代表する都市へ上りあがる

 従来の上海中心部を浦西と呼び、川向は浦東と呼ばれていた農村地帯であった。この地区の開発を中国政府の主導の下に行うプロジェクトが発表されたのが、1988年であった。

 筆者は福岡で初めて1990年9月に浦東開発シンポジウムを開催した。2006年までには国際金融街区、最先端オフィスビルの建設が完了した。500m級の高層ビル群が出現したのである。手詰まりになった浦西地区から中心街の機能を移管できたことで、上海の都市規模が充実拡大した。これにより、世界有数の国際都市に変貌した。

 最終的に国際的都市としての評価を決定づけたのは、2010年上海万博開催の成功であった。

何よりもインフラ整備のスピードが速い。福岡の10倍!

 上海の地下鉄建設工事のスピードの速さは前記した通りである。浦東にかかる南北2本の大橋は2年で完成した。1992年のことである。上海の空港は従来、虹橋空港一か所であった。国際空港として浦東空港が稼働し始めたのが1999年からである。

 現在、3カ所目のターミナルと5本目の滑走路が建設されているが、完成すると年間8,000万人の利用できる空港になる。国際ハブ空港の役割を十二分にはたせる規模である。

 不思議なのはリニアモーターカーだ。中途半端に20kmほど開通しているのだが、そこから延長がストップしている。もう10年頓挫移しているであろう。

 浦西地区の都市高速道路の建設も迅速であった。西回り東回りの幹線と、中央部貫通線が開通してから、車での移動時間がある程度予測できるようになったのは便利である。

 福岡市でいえば都市高速環状線が開通したことによるメリットと同様の利便性を得るようになったのだ。そして上海中心部から各地区へ向かう高速道路と連絡している。

 2010年上海万博の視察の時に初めて揚子江を横断する(一部地下トンネル)道路を走ったことがある。河口では40kmの幅があるだろうが、これを平然と貫通させるのである。

 新幹線も一瞬して開通させた。発着駅は上海駅と虹橋駅である。虹橋駅の地下にある商業施設には度肝を抜かれた。桁が違うとはこれであろう。南京市には1時間、首都北京までは6時間で到達する。

物流の要、巨大な新港湾

 最後に、巨大都市には膨大な物流の動きが発生する。その拠点はどこなのか?

 それを上海新港が担っている。上海新港は正式には洋山深水港と呼ばれる。揚子江河口から南東へ40kmの東シナ海に大洋山島、小洋島山が浮かんでいた。この山を削って港湾に仕上げた。32.5kmの海洋橋=南海大橋を往来して膨大な物流が移動できるようになった。

 この洋山深水港の建設は2002年にスタートしているのだが、今や取扱高は世界有数の港になっているのだ。3回、現地に飛んだが、建設進行の迅速さには驚かされるばかりであった。

 福岡高速道路百道浜ランプが完成したのが1989年である。それから10年経過して姪浜ランプが開通した。僅か7km程度の距離である。あまりの遅さに怒りを覚えた。上海は10倍の速度でインフラ整備をはたしてきたのである

(つづく)

 
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