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特別取材

破綻したリーマン・ブラザーズが日本でやったこと(上)|東京レポート
特別取材
2008年9月20日 09:30

詐欺師に手玉に取られる

 米国本社に続き、日本法人のリーマン・ブラザーズ証券(東京都港区)も9月16日、3兆4,000億円の負債を抱えて民事再生法を申請して倒産した。悪評を買ったのは、その夜、報道陣の前に姿を見せた桂木明夫社長(58)の会見。

 「外的要因が大きいことは誰もが認めるところだ」。経営破綻の理由について、こう述べた。まるで他人事。「日本では利益を出している」から、自分の責任ではないといわんばかりだ。リーマンの社債を引き受けて多大な損害を被った日本の金融機関、企業のことなど眼中にない横柄な態度に、ブーイングの声が上がった。
 リーマンが日本でやってきたことを検証しよう。そこから浮かび上がってくるのは、稼ぐためには手段を選ばないハゲタカ外資の姿である。
 
外資系を渡り歩く

 日本法人トップの桂木明夫氏は、国際バンカーに挑戦した日本人の草分け。代議士を父親にもつ彼は、高校3年のとき、アメリカン・フィールド・サービス(AFS)の奨学金で米コロラド州に留学。留学体験が国際バンカーの原点になった。米国の自由で伸び伸びとした雰囲気に圧倒され、いつか米国の会社で仕事をしたいと思ったという。

 東京大学法学部を卒業し、1977年に日本興業銀行に入行、約10年間にわたって国際金融業務に携わった。この間、ベンシルバニア大法学部大学院に留学。88年に興銀を退社した。「競争が激しいグローバル金融の世界に挑戦する」が退職の理由。米バンカーズ・トラストに転じた。しかし、バンカーズでは活躍する場がなかった。そこで米ゴールドマン・サックス東京支店に転職。職場で興銀時代の上司に再会し、ヴァイスプレジデントの肩書きがついた。
 ゴールドマンの桂木氏をスカウトしたのが、モルガン・スタンレー・ジャパンの社長だったティエリー・ポルテ氏。後に新生銀行社長になるポルテ氏は、桂木氏をモルガンの投資銀行部門のトップに引っ張った。

在日トップにヘッドハント

 モルガンの桂木氏をヘッドハンティングしたのが、今回の破綻劇を招いた米本社のリチャード・ファルドCEO(最高経営責任者)(62)だった。39年間、リーマン一筋。84年にアメリカン・エクスプレスに買収されたが、93年に社員が結束して株を買い戻して独立を回復。リーマンを再生させた中興の祖だ。リーマンの救世主となったファルド氏は、「米国で最も尊敬されるCEO」(パロンズ誌)に選ばれ、リーマンも「最も称賛に値する米証券会社」(フォーチュン誌)に輝いた。どちらも昨年の話である。

 「リーマンは、ウォール街最古の伝統をもっているが、ゴールドマンやモルガンという名門からは格が下の二流とみられ、身売りの噂が絶えなかった。日本でも、旧財閥系など有力企業グループが取引するのはゴールドマンやモルガン。東京でも、ウォール街と同じ壁があった。リーマンは日本での投資拡大を図るため、米投資銀行でキャリアを積んできた桂木さんをスカウトしたのです」(金融関係者)
 2001年9月、桂木氏は米リーマン・ブラザーズ証券の在日代表に就いた。

つづく


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