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特別取材

アジアの活力を九州の成長へ(後)~特別座談会「アジアビジネスの可能性と課題」
特別取材
2011年5月18日 07:00

 ―九州の経済成長のために、具体的には何をやるべきだと思われますか。

 国吉 芳野さんがおっしゃるベストプラクティス集というのは重要です。あと、啓発活動という話がありましたが、「実践アジア社長塾」の締めくくりで上海に行ったときの話です。岐阜に本社を置く森松工業㈱という企業の上海の関連会社を訪問しました。ここではすばらしい経営をされています。日本では500人規模の会社ですが、上海では2,800人のスタッフを抱えた大企業です。
九州・アジアビジネス連携協議会 理事 国吉 澄夫 氏 90年代初めに上海浦東開発区進出第1号として中国へ進出し、今ではグループ全体の売上450億円のうち400億円を中国で稼いでいるということでした。その実、中国人の営業マンが世界中から仕事を取ってきており、その技術も高く評価されています。日本の工場の作業員も中国で研修を受けているくらいだそうです。
 森松工業さんは「中国の力」ですごく成長している企業ですが、やはり社長が一貫して会社を引っ張っています。これは大変すばらしい事例で、先日訪問した際にツアー参加メンバーが大感激したのをよく覚えています。最近、日本の製造業の停滞がよく言われていますが、これを見ればそんなことはまったくないと改めて感じました。
 同様に、福岡ニット(株)という福岡県筑紫野市の会社も中国の江蘇省に進出して30年以上経ちます。ここも社長のマネジメントがすばらしく、非常に成功している会社の1つです。
 アジア・中国進出を目指す企業はだいたい同じような壁にぶつかります。そのため、このような好事例を参考にしていくのが良いのではないでしょうか。付け焼刃で進出するのではなく、腰を据えてやってきた企業は成功しています。現地の人たちと一緒になって事業をする事例をもっと勉強すべきだと思います。

 中山 たしか九州では、約15年前にも第1次アジアブームみたいなものがありましたが、それから現在に至る間に、アジアと九州の関係は劇的に変化しています。
 その頃のアジア進出の動機は、現地の安い労働力を活用するために進出する、もしくは大企業の進出にともない要請されてついて行くという2つのパターンが主流でした。ところが現在の動機は、「アジアに大きな市場があるので取りに行く」のが主流です。そういう気概で、社長自ら現地で人を育てて現地で指揮を執る、一方で九州は後方支援をしていくというかたちも可能と思います。
 たとえば、大分のある社長が中国(重慶市)でから揚げを売りたいという話があります。今まで5回ほどテスト販売し、いずれも大成功していますので、これは本格的に進出しても成功すると思います。また、福岡市内に4店舗展開している串揚げ店の経営者も「これからはアジア進出だ」と話しており、タイとベトナムに焦点をしぼっています。アジアを下請けにするという考え方ではなく、向こうのビジネスチャンスを取りに行くという気構えで行なってほしいですね。

 芳野 大企業の下請けではなくて、自前で商品開発し、いわゆるグローバル・ニッチ・トップになった企業もありますね。九州に居ながらにして、海外を見据えていくという考え方は大切だと思います。国際化関連の支援策などをうまく使いながら検討いただきたいですね。

 国吉 「アジアに進出すると国内の雇用が奪われるので出るべきではない」という考え方を聞くことがありますが、そんなことはありません。ここは内向きな日本企業からの脱却をぜひ目指してほしいですね。
 森松工業さんの話では、「中国に行きたい人は?」と聞くと、女性社員から圧倒的に手が挙がるそうです。本来は男性の職場だったところに女性がどんどん進出しており、活気が出ているそうです。アジア進出をぜひ、「世界で活躍する人材育成の場」になるというプラスの考え方を持っていてほしいですね。

 芳野 中小企業白書によると、国際化した企業は雇用が増え、生産性も向上しているといった分析結果があります。これは、海外市場の拡大や取引先の増加などで全体のパイが大きくなったことが背景にあるのだと思います。

 中山 ただ単に生産ラインを向こうに移すだけだと当然、国内の雇用は減ります。しかし、新しい市場を取りに行くという考えなら、雇用は減るどころかむしろ拡大するはずです。
 山梨県にある甲府精鋲㈱という会社は、15年前にタイに進出しました。そのとき会社は潰れそうなほど厳しい状況で、苦肉の策としてタイに進出したそうです。ですが、今となっては、そのおかげで日本の本社、工場を支えているとのことです。現地では、日本国内では到底できないような大きな取引先の注文を取ったりしているようで、かなりの成果をあげているとのことです。

 芳野 環境関連で言えば、たとえば九州の環境関連企業が1社だけで進出するのではなく、企業連合というかたちでの進出もあり得ると思います。1社だけでは、相手の環境ニーズにすべて応えるのは難しいでしょうし、企業連合としてワンセットでソリューションを提供することが重要な戦略になり得るのではないでしょうか。

 国吉 国際人の育成は重要なポイントです。日本の若い人たちに、大学時代からアジアビジネスについて学ぶ機会を設ける必要があると思います。
 韓国では95年以降からすでに、「注文式教育」という企業の要望をカリキュラムに取り入れた教育方法で、グローバルな人材育成に力を入れています。企業が欲しい人材を大学側が育てており、大学側はサムソンやLGといった大企業にきちんと就職させています。
 日本でも、昔のように入社して2、3年かけてゆっくり育てるという余裕は今は、どの企業にもありません。大学時代にアジアビジネスについて学ばせるという動きに期待します。

九州・アジアビジネス連携協議会 代表理事 中山 良一 氏 中山 日本の大学もアジアの大学との共同経営の時代に来ていると思いますが、とくに伝統ある国立大学などはほとんどの場合、単位の交換や留学生の交流にとどまっているわけです。私の考えですが、たとえばアジア連合仮想大学院をアジア諸国の大学と連携してつくり、そこでアジアビジネスを教えるという方法もあります。その拠点を福岡に置き、アジア各国の共通カリキュラムをつくるのです。専修学校の国際連合講座も面白いかもしれません。
 いずれにせよ、国際ビジネス人材育成が九州の発展の大きなカギを握ると思います。福岡にそういう拠点ができて人が集まってくれば、もっと情報や人が集まってきます。幸いにも福岡は多くの人が「働きたい、住みたい街」と思えるところですので、そういう場所としてふさわしいですし、大いに期待したいですね。

(了)

【文・構成:杉本 尚大】

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中山 良一(なかやま りょういち)

中山 良一氏一般社団法人九州・アジアビジネス連携協議会代表理事、アジアソリューション(株)代表取締役
1972年長崎大学経済学部卒業、同年NEC(日本電気)入社、ジャカルタ、シンガポール、北京事務所長などを経て、アジア第二部担当部長を歴任。中国、インド、東南アジア地域の通信・情報分野などのビジネスに従事。95年NEC退職後、99年(株)アジアソリューション設立、代表取締役に就任。同時にNPO法人・広域活性化研究センター理事長、(財)国際情報化協力センター・コンサルタント、独立行政法人中小企業基盤整備機構国際化支援アドバイザー、(社)九州オリーブ普及協会理事、中国東北財経大学客員教授など幅広く活動。


国吉 澄夫(くによし すみお)
国吉 澄夫 氏一般社団法人九州・アジアビジネス連携協議会理事・事務局長
京都大学法学部卒業。1971年、㈱東芝入社。ロンドン事務所駐在などを経て、79年から中国業務に従事。プラント・技術移転・合弁会社立ち上げなど実務を経験。その後、その他アジア各国への半導体営業/半導体海外現法支援などを経て、93年江蘇省無錫市IC合弁プロジェクトに従事、現地法人設立後、副総経理として赴任。96年帰任、本社中国部長/室長として全社中国事業統括・地域戦略立案を担当。05年10月より、九州大学アジア総合政策センター教授。専門は中国ビジネス(投資戦略)、中国産業論(電子産業)。10年6月末、九州大学アジア総合政策センター閉鎖と共に退任、7月1日より現職。

芳野 勇一郎(よしの ゆういちろう)

芳野 勇一郎 氏九州経済産業局国際部 国際化調整企画官
1979年西南学院大学経済学部卒業、福岡通商産業局(現九州経済産業局)入局。地域経済動向分析や活性化プロジェクトの企画・立案、新エネルギー導入促進などの業務に従事。01年7月、国際部国際企画調査課長として第1回目の「九州アジア国際化レポート」策定を担当。02年4月産業部中小企業経営革新・金融担当参事官、04年7月地域経済部技術企画課長、05年6月経済産業省地域経済産業G地方調整室長補佐、07年4月産業部産業課長などを歴任し、中小企業の経営革新・技術開発支援や地域資源活用・農商工連携の促進などに携わる。09年7月より現職。


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