<X取締役はどこに逃げた>
その後、自分の席に戻ると、総務の男性社員が駆け寄ってきた。
「6階に不穏な空気が流れています。社員の不満が爆発しそうです」
6階といえば営業部のフロアである。営業部では伊崎専務なり稲庭取締役なりが、大半の社員に対して解雇通知を渡しているはずである。それがいったいどういうことになっているのかと思い、もと総務部にいた女性社員に内線を入れてみた。
「今、何が起こっているの?」
女性社員は答えた。
「X取締役が帰ってしまいました」
私は思ってもいなかった返事に驚いた。
「ええっ? 終礼のあと個人面談していないの?」
「はい。6階の終礼のあと、なかなか個人面談が始まらないんです。そこで、X取締役に聞いてみたら、『それじゃ明日ね』っていってそそくさと帰られてしまいました」
「明日、営業は10時からオーナーさんへの説明会があるじゃないか。そんな暇なかろうに」
「もう状況は変えられないわけですから、早くはっきりさせてほしいです」
女性社員は多少いらつきが混ざった困り声で言った。とりあえず私は電話を切った。
「X取締役はどこに逃げた?」
私は憤懣やるかたない気持ちだった。先に会長は、皆の前であれだけ辛い気持ちを示しつつ、役員一同で社員の再就職も支援しようという決意を示した。それなのに会長・社長を補佐し70人の部下を持つ営業の責任者が敵前逃亡である。もっとも、営業本部長の下に担当取締役がついている建築部やマネジメント部、東京支社はすでに面談が済んだとの報告が集まっていた。しかし、営業部20名の面談が宙に浮いていた。
いずれにせよ、明日は土曜日だったが何が起こるかわからない、オーナー様などが殺到する可能性もあるため全員出勤としていたので、明日きちんとした面談をさせることにした。
申立当日に帰宅したのは夜10時過ぎだったと思う。
民事再生のボタンを押すことは、私にとっては心理的に大きなヤマだったので、半分はほっとした気持ちで自宅への夜道を歩いた。残りの半分は、明日からのオーナー向け説明会だ。
―― きっと問い合わせも多いだろう
そんな緊張感が抜けなかった。
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<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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