<統帥崩壊で社員流出>
いっぽう、営業部では、民事再生の翌日から稲庭取締役が指示を受けて社員への解雇通知を渡す面接を進めていた。
しかし、昨夜の司令官の敵前逃亡の結果、統帥が崩壊してしまった。
このため、こちらから解雇を強制せずとも皆次々に自分から去っていく事態となった。それだけでなく、この士気の低下が賃貸管理部門にも伝播し、会社としては残ってほしい中堅社員が次々と退職を表明した。
これらの結果、民事再生申立から1日にして社員を解雇する辛さから、一転して戦力を確保することに苦労をすることとなった。私も、経理の女性社員に対し、戦力として残ってもらうよう説得した。何しろ不動産管理部門は、大半の業務をそのまま続行するのだから、その主要メンバーがいっせいに退職するのは大変なことである。何とか、その欠員を埋めなければならない。
最終的には、不動産管理担当の牧野取締役が、いっしょに事業を存続させていこうと説きに説いて、彼がもと所属していた営業部の部下たちを翻意した。稲庭取締役もようやく事態の深刻さを認識することで、何とか数人の部下を率いて前に進めるようになった。
<債権者集会で説明を尽くす>
民事再生を出した翌週、都心の貸会議室で一般債権者向けの債権者集会を開催した。
債権者集会では、冒頭、黒田会長が陳謝し、当社が民事再生に至った経緯や今後の手続について弁護士が説明してくれた。たいていこのような事態になると、会社の代表者はほとんど弁護士任せで何もしゃべらないそうだが、黒田会長は感情的な質問などに自分の言葉で答えていた。
「私は、御社に物件の管理をお願いしている不動産ファンドの者ですが、このようなことになり風評被害で入居率が下がることを懸念しております。いったいどうしてくれるんですか」と債権者。
「多大なるご迷惑をお掛けしているところではございますが、入居者の方には、民事再生の翌日に、あわてて退去したりせず、裁判所の監督下で営業を継続するので家賃も安心して振り込んでください、とご案内もしております。このようにして入居率が下がらないように配慮しておりますので何卒ご理解いただきますようお願いいたします」と黒田会長。
「それでも、きっと入居率は下がりますよ。本当に迷惑しています」と、債権者はそれでも納得せず捨て台詞を吐く。
「・・・ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません」
このように、黒田会長が自らの言葉で説明を果たそうとする姿勢で臨んだことは、ひとつのよい結果を生んだ。
すなわち債権者集会で、当社の取締役の全員が続投することについてとくに批判は出ず、その結果、会長以外のサラリーマン役員については、大幅カットされた額ながら役員報酬をいただけることとなった。年収にして500万円になるかならないか、従来より半減以下という水準であったが、月給があれば、社会保険料も会社に半分負担してもらえ、無給なら満額を自腹で支払わなければならないので、あるかないかは大違いである。
その後は、先に述べたような民事再生の戦略および行動項目に沿って動いていった。
役員間で役割分担を行ない、営業系の役員は、当初はオーナーのつなぎとめと一般管理契約への切替に全面的にコミットし、その後は、不動産を少しでも高く売れるよう販売活動を行なうこととしていた。私自身は、倒産時の管理担当役員ということで民事再生全般の推進役を担い、当初は不動産管理事業の譲渡、次いで再生計画の立案や債権者集会の対策といった業務に当たることとなった。
オーナーのつなぎとめは、11月14日に民事再生を申し立てた後、11月末日までにはすべて切り替えるというタイトなスケジュールであった。
しかし、先に述べたように、申立から間髪いれず説明会を行なうような手順がよかったのに加え、岩倉社長の監督のもと、社員が連日未明まで業務に当たってくれた。物件売却活動を完全にストップしたのもよかった。そのような努力の結果、捺印だけ遅れるようなことはあっても、7割方の管理物件を残すことに成功した。
▼関連リンク
・REBIRTH 民事再生600日間の苦闘(1)~はじまり
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
※記事へのご意見はこちら