<隠遁の日々>
2009年5月1日より、旧経営陣は不動産管理事業を運営する責任から解放され、不動産を換金処分しながら配当に向けて進む残務処理の日々となった。
会社の要員は名実ともに取締役5名、常勤監査役1名のみとなった。このうち、若手の取締役(営業系)1名は7月に他社にポストを見つけ、退任していった。監査役についても当社が定款を変更し監査役会を廃止したため7月までの勤務となった。このため、最後まで再生に当たった役員は、黒田会長、岩倉社長、中井常務、そして私の4名だった。
このうち、黒田会長については、民事再生以来無給であったこともあり、オーナー経営者としてあくまでも何かあれば前面に出ていただき、物件所有者の新会社へのつなぎとめのために動いていただくが、とくに支障がない限りは、生計のため仲介業を営むことになり、新たにLupraという会社を設立し、平尾に10坪ほどの小さい事務所を開設した。
岩倉社長は、主に不動産の売却と、これにともなう銀行との折衝に専念した。
これにより、不動産の換金がどんどん進むようになった。
中井常務には、唯一の1級建築士として、停止中の工事現場の再開から竣工までを管理する責を負った。工事中に民事再生を迎えた現場が、東京と札幌の2件残っていた。
私、石川は、裁判所への月例の報告書の作成、再生計画案(残る資産の換金~配当~会社清算までの事業計画)の策定、カネの動きは少なくなったが経理のチェック、投資有価証券と売掛金・未収金の換金といったところが仕事になった。
40人の会社で7,000戸を管理していれば、毎日のように支払承認行為が発生する。
売掛金の未回収、不良入居者に対する立ち退き訴訟の問題など、法律的な相談も毎週のように現場から寄せられていた。そうしながら、数カ月先までの資金繰りを確認する、というように、中堅企業の管理責任者というのは忙しいものである。
しかし、5月1日をもって不動産管理事業を譲渡したあとは、上記のような残務処理を抱えるだけであったためかなり時間に余裕ができた。
このため、残務処理に当たる役員同士で、民事再生の終結まで責任を持って取り組もうと話し合い、また、人生にはこのような時期もある、ということで、ある程度自分のために時間を使うことも決めた。
2009年の春から夏にかけて、岩倉社長は、不動産の売却のため、弁護士と帯同して頻繁に東京に出張していた。これはもちろん、民事再生手続の遂行に必要だった。しかし、それだけでなく、何とか東京でビジネスを見つけようといろいろと模索をしているのだろうと思った。
中井常務は、東京と札幌で中断しているビルの工事の再開の問題を抱えていたが、これらはまず物件の売却が決まってからの仕事である。春から夏にかけては債権者集会に向け工事業者の理解を得ていくことが主な役割だったが、それだけでなく、黒田会長の新会社の工事の手伝いなどをしていたようだ。
もう一人、営業担当の取締役がいたが、この人は7月までに東京に仕事を見つけ、一足先に退任していった。
私自身も、余裕時間を活用して、これまでの民事再生手続を振り返っての回想録を書き上げた。
拙い文章だったが、文字通り天国と地獄を見た経験を、今後同じような事態に直面する人のために書き残しておきたかったからだ。原稿は幸い、データ・マックス社の目に触れ、同社のニュースサイト上で連載されることとなった。
さらに、大事なこととして、民事再生をやり遂げたあとのこと、つまり再就職についても、もはや社員の目を気にする必要がないため活動を始めることにした。
▼関連リンク
・REBIRTH 民事再生600日間の苦闘(1)~はじまり
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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