X社の中途採用の幹部には大手企業の経験者が多かった。
が、皆、従来の勤務先でのように管として振舞おうとすると(すなわち、トップと方針を共有化した上で、それを所要の報連相をしつつ権限範囲内でブレイクダウンして実行しようとすると)、たちまち言葉尻をつかまれて不興を買ってしまう。かといって慎重に途中確認をしながらことを進めようとすると伺いを書面で出せとなり(実際、役員クラスが著しく些細なことでも書面で伺いを挙げていた。)、それではと伺いを上げると、決済書類が多いといってパワー切れしてしまう。そうして、ことを進められなくなると、今度は「結果を出していない。」とくる。
その結果は、退職しかない。
このようにして採る人採る人が皆適応できず辞めていってしまうことについて、この社長は、その原因を自責領域で考えることができていなかった。その結果として100億の企業にして後継者を育成できていなかったのである。
私も、入社し、社長の意思決定に資するためのシミュレーションや法的対応も担当し、社内体制の整備についての各種提案も行い、手をつけられるところからやっていきたい旨を申し出ていた。しかし、これらの提案に対する結果は、上記と同様であった。
2010年の9月になると、私は、これ以上X社の業務に加担することにり良心的な呵責を感じるようになった。
いったん社長が嫌った人物は、幹部一同で袋叩きにし、誰一人かばおうという人などいない。ともに頑張って成長しようという雰囲気がない。確かに、企業経営はきれいごとだけではない。時には、社員を解雇するということも必要だ。しかし、それも度が過ぎると、もとより人が育たない。特に、幹部クラスの離職率が高いので、組織のレベルが上がらず、その結果、せっかく毎年採用する新卒者も5年後には1割しか残らず、毎年毎年同じところを堂々巡りしている。
私も、採用面接でX社の仕事のやりがいをアピールして空いたポストを埋めたり、微罪の社員の懲罰の後始末をしたり、といったことも社命とあらば実行したが、このようなことが続き、このため私はX社での勤務に良心の呵責を感じるようになった。
ファンドバブル崩壊から民事再生と砂を噛むような日々を耐え抜いた私だが、甘言で短期離職者を再生産する仕事のストレスには、耐えられなかったことを、私は告白しなければならない。
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<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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