<ハローワーク>
こうして私は、生まれて初めて赤坂のハローワークを訪れた。
ハローワークの建物前には、何やら出入りする人にチラシを配布する若い人の姿がある。
何を配っているのかと覗いてみると、ITや介護の職業訓練のチラシである。
リーマンショックを受けて、雇用保険のない離職者へのセイフティネットとして、民間の研修を受けながら「訓練・生活支援給付金」という月間12万円の生活費を受け取れるという制度ができ、その対象となる研修のチラシなのである。これも、失業者をネタにした商売だろう。
日雇いの斡旋業者のような人も、ハローワークの前にたむろしているのだろうか。
いずれにせよ、ちょっと異様で、住民票を取りに区役所に行くのとは雰囲気を異にする。
意を決して薄暗いエントランスホールに入った。
入口横のチラシスタンドには「新着求人」と題して、職種・分野別の最新1週間の求人情報を印刷した資料を置いてあり、好きなだけもらえるようになっている。このチラシスタンド前には、失業者と思しき人たちが群がって思い思いに資料を選んでいる。中には、その場で立って資料の内容を一瞥したかと思ったら、そのままバッグに入れるような人もいる。
私も、総務・経理関連の求人資料を手にとってみた。
粗末なB4の再生紙の資料に市内および近郊の事業所の求人が20件くらい掲載されていたが、その7割はパートタイマーまたは契約社員であり、正社員の求人は3割程度、それも一般社員クラスの求人で給料は25万円なら上等、といった感じである。年収600万円(月収50万円!!)の求人などは存在しないのである。
その他、エントランスホールには掲示板もあり、そこにもいろいろな情報を貼り出してあった。
先に述べた「訓練・生活支援給付」という新しい失業セイフティネットの資料を手にとってみた。
雇用保険が使えないという私の立場に、それはぴったりであると思ったからだ。雇用保険のない人が、扶養者ありの場合で月に12万円の訓練・生活支援給付を受けながら、無料でITや介護の職業訓練を受けられる、というバラ色の企画である。私は、天から救いの光がさすのを感じた。
しかし、塵の混じった薄灰色の再生紙に印刷されたそのチラシに目を通すや否や、私の期待は落胆に変わった。この給付金の受給資格者の欄を見ると、収入制限が一つと、資産制限が二つあり、私は資産制限の二つを満たしていなかったのである。
エントランスホールから1階のフロアを覗くと、多くの人が、順番待ちのうえ、フロア内のパソコンで求人を検索していた。何でも失業手当を受け始めると定期的にここで求人を検索し、求職活動をしていることの証拠を整備しなければならないそうである。
エントランスホールには、ハローワークの各階案内図もあり、私のように始めてきた人は2階に上がるようにとの指示があった。そこで私はエレベーターのボタンを押した。エレベーターの中は、蛍光灯が老朽化し、白い光は暗くちらついていた。天井にはブーンとファンが回転しているにもかかわらず、空気がよどんでいた。
ハローワーク2階の、失業手当の需給申請の窓口の雰囲気は、1階よりも重い。
折からの不況でリストラされる人が多かった。
ある人は勤務先の破産で職を失い、ある人は、ブラック企業で営業をしたものの3カ月で解雇され、またある人は、理不尽な転勤を強要され、泣く泣くここに来ているのである。皆、本人に責任があるかどうかは別としても、心に何らかの傷を負っている。そのような人が多数集まる場所が、このように気を吸い取られるような空気となるのはやむを得ない。
いわば、ここがいつ果てるとも知れないハローワークワールドの入口であった。
ホールはこのような人でごった返している。
人の多さで炭酸ガスの濃度が高いのか、少し息苦しかった。人の出入りが多いからか、床のタイルカーペットは元の色がわからないくらい黒ずんでいた。天井も、壁も、係員が座るカウンターの天板も、元の色を思い出せないくらい、濁ったグレーに沈んでいるのである。
私は、銀行の窓口にあるのと同じような整理券発行機から番号札をもらった。その後、カウンターの事務員に、書類の不備等がないか簡単なチェックをされた後、担当者との面談を待つことになった。
ホールに置いてある待合用のベンチに腰を下ろした。30分程待たされた後、無味乾燥な電子音声で42番の方、と呼ばれた。
指定の窓口のカウンター席に座ると、色白で頬の紅い20代と思しき若い男性の職員が相手をしてくれた。
▼関連リンク
・REBIRTH 民事再生600日間の苦闘(1)~はじまり
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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