「世界の皆さま、南相馬市へのご支援をよろしくお願いします」――福島第一原発事故直後、動画サイトを通じて世界にこう訴えた福島県南相馬市長の桜井勝延氏。あれから1年以上が経ったが、いまだに国家主導の復興は道半ばだ。市民が放射能という見えない恐怖と戦うなか、度重なる過酷な決断を強いられてきた桜井市長は今、胸の内にどのような思いを秘めているのか。また、ここまで自身を支えてきた力の原点とは。
<一心に突っ走り市長に>
今、私の立場は、市長として南相馬市を預かる者としてと、一方で自分自身の生き方をどう考えるかという個人としての2つがあります。そもそも、私が2010年の市長選に出る際に思った「市政を変えたい」という原点が変わったわけではまったくありません。当時、民主党政権が始まって間もない頃で、私自身も新政権に期待していましたし、この国を、この地域を変えなきゃいけないという気持ちは人一倍強く持っていました。そのなかで、財政改革、行政改革を中心とした「持続可能な自治体経営」という視点はこれからの自治体運営に絶対欠かせないと考えていました。
ともすれば、交付税や市債を発行しながら、公共事業を中心とした財政出動があってしかるべきと思っている人たちも多いわけですが、それをずっと続けてきた結果、現状が厳しくなってきたわけです。どこかでそれを変えるきっかけがなければいけませんでした。国においては政権交代だったでしょう。一方、我々にとっては、私が南相馬市長になるということで、それ自体が住民にとっては本来あり得ない選択だっただろうと思います。
その意味で市民の立場から見れば、政治的なつながりを持った人たちが政治の舞台を預かってきたというスタンスとは、まったく違うものだったはずです。私はまったくそんなことは関係なく、「変えなきゃいけない」という一心で突っ走ってきました。それによく皆がついてきてくれたし、よく自分を市長に選んでくれたと思います。
市長になってから、機構改革や仕分けなどさまざまな新しい試みと同時に、財政健全化も1年間必死にやってきて、経常収支を5ポイント以上改善したという自負心があります。しかし去年、大震災が突然降り注ぎ、財政出動しなければならないような事態に追い込まれました。そして原発事故により、せっかく合併した市が3つに分断されてしまい、まったく別の状態で差別されていくわけです。
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<プロフィール>
桜井 勝延(さくらい かつのぶ)
1956年生まれ。福島県南相馬市出身。岩手大学農学部を卒業後、酪農に従事。2003年3月4日から10年1月10日まで南相馬市議会議員を2期務める。同年1月29日から南相馬市長。You Tubeで東日本大震災に見舞われた同市の被災状況を訴え、米タイム誌から「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。
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