<無職の年越し>
年末になった。
この間、3社の面接が二次まで進んでいたが、内定に至ったものはなかった。
否、地元の栄養食品通販会社は、入社を決意していただけるなら社長面接に行っていただきます、といわれた。しかし、ここはWEBで検索してみると、いわゆる離職率の高いブラック企業であった。管理職の入れ替わりは特に激しい様子だったため、家内とも相談のうえ丁重に断った。
考えてみれば、このように簡単に内定を出すところは離職率もまた高いはずである。
年末までに二次面接まで進んだ企業は、3社あり、年内に就職を決めることはできなくなったが、それぞれ印象は悪くなく、年明けにはどれか1つくらい目処がつくのではないかと判断するに至った。
このため、仕事の手伝い先も年末年始の休暇に入り、少し落ち着いた気分になった。
一人娘は、もう小学1年となり、ひとりで田舎の祖父母のところに何泊もするようになった。
このため、年末年始は、その何日かを子供の相手からも解放されて過ごすようになった。
忙しい頃は、平日は仕事のため帰宅するのは20時過ぎで、子供の相手をしてやる時間は、朝だけだった。その分、休日になると、家内を休ませるためにもなるべく娘の相手をしてやったものだが、そういう世話にかかる時間もだんだん減ってきていた。
このため、無職ながらこの年末年始は、家内と食事に行ったり年明けの百貨店を冷やかしたりと、久しぶりにゆったりと過ごすことができた。
しかし、正月休みが空け、世間は仕事始め、となったとき、私はいいようのない取り残され感を味わった。
皆がいっせいに休みを終え、仕事のスイッチがオンになり、静まり返っていた日本列島が再び経済活動の鼓動を打ち始めるとき、無職の私は、ただ仕事のないままに取り残されたのだった。このときの取り残され感は忘れられず、私が本稿を書き残そうと思った動機のひとつにもなった。
そのうえ、1月の6日だったと思うが、私が知人の事務所での手伝いを終え天神の書店で経済書の立ち読みをしていると携帯電話がなった。
「石川様ですか。あけましておめでとうございます。」転職エージェントのS氏からだった。
「ああどうも、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」
「実は、選考が進んでおりましたA社とB社なんですが・・・」そうS氏はいう。この切り出し方は、良くない知らせだな、そう直感した。
「・・・実は、先ほど企業のほうより連絡がありまして、残念ながら次のステップに進めませんでした。」
取り残され感に打ちひしがれているところに、頼りにしており可能性も感じていた選考先企業に落とされてしまい、私は落胆した。
このようなことがあり、たいていどんなストレスがあっても熟睡できる私も、この先どうなるのだろうか、仕事は? 家計は? と先の見えない不安にさいなまれ、眠れないときもあった。
▼関連リンク
・REBIRTH 民事再生600日間の苦闘(1)~はじまり
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
※記事へのご意見はこちら