<Lupraのその後>
ここでいったん時間を遡り、黒田会長がLupraを設立して再出発したところまで振り返ろう。
黒田会長は、2008年11月にDKホールディングスが民事再生となったのち経営責任を負って無報酬となった。
いかに上場時代に高所得で貯えもあろうとはいえ、相応の生活費もかかるため、無報酬のままいつまでもいることはできなかった。
そこで黒田会長は、民事再生手続に一定の目途がついたのちは、一足先に会社を離れ、新たな会社を設立し、そこで不動産の仲介やリノベーションに取り組んでいた。
もちろん、DKホールディングスの代表取締役としての立場も残っていたが、民事再生の残務処理は、裁判所より役員報酬を認めらえた岩倉社長以下、中井常務や私が推進し、黒田会長には、何かあったときだけは全面に立っていただく、ということにしていた。
そして、黒田会長は、新たに平尾に小さな事務所を借り、Lupraという会社を設立した。資本金1,000万円で本当に一から設立した会社である。2009年2月のことである。
設立は、DKホールディングスの社員も手伝った。
黒田会長は、営業系の役員や、解雇せざるを得なかった元社員に対し、一緒にやらないかと声をかけたようだが、これと思う社員は、もう次の職場を探していたり、しばらくは休むという人が多く、うまくいかなかった。
その頃は、まだ営業系役員が全員残っており、不動産の売却やオーナーのつなぎ留めに当たっていたが、黒田会長もその何人かはいっしょにLupraを立ち上げていくことを期待して声をかけていたようだ。
そうしていた時、私は、DKホールディングスが賃貸管理事業を譲渡する先に誰がいくか、といった人事問題を固める時期にあったので、黒田会長に対しては、
「Lupraに連れて行きたい人があったら、個別に面談して、意思を確認しておくのがいいと思います」
と申し上げていた。不動産管理の新会社に行く予定の人が、やはりLupraに行きます、となってしまっては、新会社の人事も固まらないからだ。
その後、黒田会長は、各営業役員と面談したようだが、残念なことに、早速また会長とビジネスをしようという人はいなかった。若い頃から運命を共にしてきたDKホールディングスが倒産まで至ったことで、あるいは、これを機に環境を変えてやってみよう、という気持ちになっていたのかもしれない。
それに某役員は自分が懇意にしている顧客のビル何棟かを持ち出して、それを管理することで独立して生計を立てようとし、離れていった。
一方、一般社員から見れば、上場会社のトップであった会長は、存在が大きすぎて、一緒に仕事をするのが不安だったかもしれない。
実際には、黒田会長はそのあたりの手加減はうまくやるのだが、DKホールディングスの頃は、相当に組織も大きくなっていたので、トップと担当者が直接ことを進めることは少なくなっていたのだ。
結局、当初のLupraは、DKホールディングス社内の人材を取り込むことはせず、事務社員はハローワークで女性を雇い、営業についてはDKホールディングスの周辺で売買仲介業をしていた人材を取り込んで営業を開始した。
黒田会長(Lupraでは社長)は、当初は分譲マンションのリノベーション受注などを目指して取り組んでいた。しかし、やがてこれを改めて、得意分野である収益不動産をお客に販売し、その後当該物件のリノベーションを行なうというビジネスモデルを確立した。
その取扱高は2年で年間15億という水準まで到達した。もちろん、DKホールディングス時代のお客様やお取引先も多かったが、また新しい顔ぶれも見えた。これはさすがというより他ない。
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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