<第六章 谷本頭取の時代>
クーデター未遂事件(34)
維新銀行の頭取として1974年以来18年間君臨し続けてきた植木は、昨年末の前立腺がんの発症を機に、その権力基盤が大きく揺らぐことになった。
いつの世も同じことであるが、それまで絶対権力者であった豊臣秀吉も病気とともに、その権力基盤は弱体化。それを支えていた前田利家を筆頭とする五大老等の重臣達も高齢化し、政権運営は側近の石田三成等の五奉行に委ねられることになり、崩壊の道を辿ることになる。
一方徳川家は関東へ移封されてもしぶとく生き残り、有力大名と誼を通じ、1600年に関ヶ原の戦いで勝利。続く大阪冬の陣、大坂夏の陣に勝利し、秀吉亡き後1615年に天下を手中に収めている。まさに維新銀行においても豊臣政権の崩壊と同じように、落日の植木政権に対して谷本派による政権奪取の戦いが始まろうとしていた。
植木は「君の考えによると、先方は竹下君、河辺君、宮下君、城戸君、桜木君の組合出身役員5名と、木村君、湯原君の2名に谷本君を加えると8名と言うことだね。そうなるとこちら側はどうなるかね」
と、訊いた。
笹川は、
「植木頭取と私、それに杉村副頭取、広島支店長の森谷取締役、東京支店長の塩道太郎取締役、福岡支店長の谷本靖彦取締役の6人は堅いと思いますが、西京支店長の佐藤常務がどうですかね。塩道取締役と仲が良いので同じ行動を取ってもらえるかもしれませんが、谷本専務と同窓のS大学の後輩でもありますので、なんとも言えません」
と、答えるのが精一杯であった。
植木は、
「数は今のところ推測であり、我々が本格的に巻き返しを図れば勝てないことはないと思うが、たとえ勝つことが出来ても役員同士が割れて泥仕合になる。このまま雌雄を決するような事態になれば、維新銀行設立以来110余年の歴史を汚すことになるし、僕の人生にも大きな汚点を残すことになる。こうなったのも僕の不徳の致すところかもしれないね。最後は行内が割れないようにするための最善の方法を考えなくてはいけないね」と、軍人出身の頭取らしく冷静な対応を口にした。
暫く考えに耽っていた植木は、
「大局的な観点から過去のしがらみを捨てて、谷本君に頭取職を譲ることにしようと思う。頭取を引き受けることになれば、彼なりに今後の経営方針を含め、人事案などについての考えがあるはずだ。笹川君、君にはご足労かけるがもう一度東京に行って、細部を詰めて来てくれないか」
と、はっきりした口調で笹川に指示を与えた。
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