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文芸評論家による政治評論を読む(後)
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2012年10月10日 07:00
SNSI・副島国家戦略研究所 中田安彦

 そのような政治部記者たちは、官僚の選択的リークによってスクープ記事を書くことを目的にしている。つまり、情報源である官僚とは持ちつ持たれつの関係なのだ。そのような場合、官僚が政治主導を潰したい場合には、記者たちはそのことについて見て見ぬふりをして、重要ではない問題をことさらにおかしく取り上げて読者の関心を逸らしたり、ひどい場合になると、中川昭一財務大臣をローマで酩酊会見に追い込んだ大手紙とテレビ局の女性記者らのように、対米追従派の財務官僚らと結託して、政治家つぶしの謀略を行なう。(この中川昭一氏の酩酊会見の真相については三橋氏の『真冬の向日葵』が小説仕立てでではあるが、初めて具体的に論述している)

 安倍政権当時の話に戻ると、マスコミは公務員制度改革を行なうと決めた安倍政権を潰すという官僚の思惑に乗ったようだ。安倍政権には渡辺喜美氏や中川秀直氏らの上げ潮派の政治家たちが、経済成長戦略の提言とあわせて、公務員制度改革を主張していた。現在の自民党からは、渡辺喜美氏が離れて「みんなの党」を結党して、安倍氏の伝統保守路線から決別した。

 そして、安倍政権が崩壊して数年後には同じく、政治主導で公務員制度改革を掲げた、小沢一郎氏の率いた民主党政権が政権発足直前に政治資金をめぐる疑惑の攻撃にさらされる。小川榮太郎氏の本だけを読んでいると見えてこないが、官僚・マスコミの連合軍は、公務員制度改革という統治機構制度の組み換えを唱える政治家を順序だててバッシングしていく事がわかる。安倍氏と小沢氏は保守とリベラルという点で大きく違う面もあるが、政治主導を目指して、公務員制度改革を目指した点では共通していた。そのことに対する官僚の抵抗感は強かった。やはり、日本は「天皇を中心にする律令国家」なのである。いまも。

 つまり、小川榮太郎氏に従うと、安倍氏の「戦後レジームの脱却」には、一般的によく言われる「東京裁判史観の克服」とは別に「官僚主導政治からの徐々の脱却」というものがあったことになる。私は前者のレジームの脱却論はあまり国益上有益ではないと考えるし、安倍氏が靖国神社に参拝しなかったのは正しいと思う。それは安倍氏が首相就任直後から、中国との関係を改善しようと、すぐにアメリカではなく中国に飛んだことによって、「戦略的互恵関係」が樹立されたことを考えればすぐにわかる。靖国神社問題や戦争認識の問題を争点にすると中国だけではなく、アメリカすらも敵に回すということである。

fukei_1.jpg 問題は、今の安倍自民党が後者の「官僚主導政治の脱却」という側面を維新やみんなに分散(こちらも理念的に先鋭化)させたことによって前者の「東京裁判史観的なもの」からの脱却を理念的に追求するのではないか、という懸念があるということだ。安倍晋三氏のアジア(具体的にはASEAN)重視の考え方は日本の国家戦略としては頷ける所も多い。憲法改正はまだまだ日本にとっては時期尚早だと私は考えるし、いまはアメリカに対しては正面切って「独立宣言」をすることはむずかしいし、あまりメリットはない。基地問題などでは日本が自衛隊だけで日本防衛ができると主張しつつ、沖縄の基地反対運動をうまく対米交渉の材料に使って、米軍基地負担の軽減を目指すというある種の「面従腹背」を取るしかないだろう。

 ただ、私は小川榮太郎氏と異なり、安倍氏を全面的に支持するものではない。安倍の「戦後レジームの脱却」は、東京裁判史観の打破のことである。その史観を受け入れた吉田茂・外務省路線(この路線の問題点については、孫崎享著『戦後史の正体』が詳しく述べている)からの脱却でもある。しかし、この正面突破の自立戦略には副作用もともなうのである。性急に安倍路線を推し進めれば、アメリカ側が米軍を自衛隊の抑止に使うという冷戦時代の「瓶の蓋」論は再燃するかもしれないし、場合によっては外務省もそれに便乗していくだろう。ゆえに、私は安倍的な歴史認識の一部には理解を示すものであるが、それをすべてにおいて肯定はしない。

 また、安倍晋三を熱狂的に支持する保守層が、小沢一郎氏に対しては熱狂的に批判的であるというのも、気がかりだし、それらの保守層には単に中国や韓国嫌いの排外主義者も含まれている。そういう「イデオロギー主体」(右翼・左翼論争)の議論をしているうちは、そのイデオロギー的対立が、官僚たちによって、国論分断のためのプロパガンダに利用されるだけだろう。安倍氏にしろ、小沢氏にしろ、政治家の理念というよりも外務省の権益を侵す政治家が官僚にとっては邪魔者なのだ。大衆を分断し、政治家同士の批判合戦だけを際立たせ、その背後で官僚が主導権を握る。

 だから、政治家バッシングをマスコミに安易に使わせないようにするためには、メディアを消費する私達が「賢く」ならなくてはならない。マスコミは安倍政権叩きも小沢一郎バッシングも自覚的に行なっており、その結果がどう転んでも責任を取ることはない。

 小川榮太郎氏や山崎行太郎氏らのように、政治の最前線ではなく、あえて一歩引いて時勢を評論するのが文芸評論家の役割である。彼らが見抜いた「メディア主導のプロパガンダ政治ショー」がいまの国益を議論することをどれだけ阻害しているのかを、私たちはもっと考えてゆかなければならない。 山崎行太郎氏は、ドイツの哲学者のフッサールの言を借りながら、「先入観や偏見、流行、他人の意見などさまざまな先行情報によって人間は目を曇らされている」と述べている。現在、私たちにその「先行情報」を与えるのはマスコミである。

この二人は、文芸評論家だけに、故・江藤淳氏の言論を多く引いている。安倍を強く支持する小川榮太郎氏が、小沢を支持した江藤淳氏を『約束の日』の終章で引用しているのも興味深いといえよう。

 今回はまったく性格が違うとおもわれる小川榮太郎氏の安倍晋三論と山崎行太郎氏の小沢一郎論を取り上げ、その共通点を探ってみた。おそらく、思想的な違いから、一方の読者はもう一方は読んでいないだろうと思うからだ。ご参考になれば幸いです。

(了)

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<プロフィール>
中田 安彦 氏中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。


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