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コダマの核心

自立・持続組織シリーズ(5)~リクルート組織こそが【自立・持続組織の見本】(前)
コダマの核心
2013年2月15日 10:32
(新しい情報ビジネスの開拓者、江副浩正氏の死を悼む)

 2月8日、リクルートの創業者、江副浩正氏が亡くなった。享年76歳。情報王国リクルートグループを築き上げたが、未公開株を政財界の有力者にばらまいたリクルート事件で、経済界の表舞台から退場した。それでも、今なお伝説として語り継がれている怪物経営者だ。江副氏の最大の功績は、リクルート出身者の起業家を多数輩出させたことにある。
 まさしくこのシリーズ【自立・持続組織】の見本である。追悼文を寄稿している一人である高塚猛氏は福岡ドームを再生させた功労者である。もう一人の真部敏巳氏は日本における企業再生コンサルの第一人者として活躍中だ。リクルートの看板を外してもどこでも活躍できる人材を社会に輩出している江副氏の実績は日本一であろう!!

<惜しまれるリクルート事件での失脚>
 リクルート事件で、これだけは許せないと思ったことがある。
 1988年11月、日本テレビ系全国ネットを通じ、午後6時からの「ニュースプラス1」で「これがリクルートの政治工作の実態」と題して放映された、リクルートコスモスの社長室長が、社民連の楢崎弥之助代議士(2012年91歳で死去)に賄賂を渡そうとしたシーンである。賄賂を贈る現場が隠し撮りされたのは日本の政治史上、前代未聞の珍事であった。

 それまで福岡出身ということもあり、楢崎代議士の熱血漢ぶりに好感を抱いていたが、このシーンを見て「いつから事件師に成り下がったのか」と唖然とした。国会でリクルート未公開株譲渡問題を追求する楢崎代議士に、手心を加えるよう議員宿舎で500万円の賄賂を贈ろうとするリクルートコスモスの幹部との会談を、自らおとりになって日本テレビに隠し撮りさせた。天下の国会議員が、国民を罪に陥れるために、美人局とまるっきり同じ所業を働いたのだ。「恥を知れ」とテレビに向かって怒鳴ったことを思い出した。

 リクルート事件とは、リクルートの創業者、江副浩正会長が1984年12月から85年4月にかけて、公開を予定しているリゾートマンションを運営するリクルートコスモス社の未公開株を多数譲渡していた贈賄事件をいう。譲渡先は政治家、官僚、通信会社の実力者など76人に達した。どうして大量にばらまいたのか、いまもってよく分からない。
 03年3月、贈賄罪に問われた江副氏は東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。被告側・検察側双方が控訴せず、これでリクルート事件はすべて終了した。

<原点は東大新聞の広告取りのアルバイト>
 江副氏は「東大が生んだ戦後最大の起業家」といわれた人物である。
 1936年6月生まれ。大阪の甲南中学、甲南高校から、55年、東京大学教育学部に進学。学資を稼ぐため東大新聞の広告取りのアルバイトを始めた。
 当時の東大新聞は学生運動の牙城だったが、江副氏は学生運動には見向きもせず、1人黙々と広告取りに歩いた。東大新聞の広告取りの歩合は25%で、江副氏は多い時に、1カ月に10万円から20万円の収入を得ていたという。かなりの高給である。
 安保反対のシュプレヒコールの嵐が吹き荒れた60年3月、東大を5年かかって卒業した江副氏は政治の季節に背を向け、東京・港区南佐久間町の第2森ビルの屋上にプレハブの事務所を構え、「大学新聞広告社」の看板を掲げた。これがリクルートの前身だ。
 江副氏と森ビルの森稔氏(12年に77歳で死去)は東大教育学部の同級生。森氏は屋上にプレハブを造り、同級生の江副氏に貸し、家賃を取って小遣いの足しにしたという

(つづく)

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