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みんなの党・柿沢未途氏の離党の真相~雌鶏が時を告げると・・・
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2013年8月26日 10:56

 柿沢未途氏が23日、みんなの党を離党した。正確に言えば、離党させられた。渡辺喜美代表から、「党を出ていってほしい」と言われたからだ。会見で「腸(はらわた)がちぎれる思い」と述べた柿沢氏だが、その目にはうっすら涙がにじんでいた。
 そもそも、どうして柿沢氏が党を追い出されなければならなかったのか。渡辺氏と対立し、8月7日に幹事長を更迭された江田憲司氏でさえ、現在のところ党を追われていない(今後はわからないが)。しかも柿沢氏は、渡辺氏の「秘蔵っ子」と言われていたほど渡辺氏に近い存在だったのだ。

 2008年2月に深夜に酒気帯び運転で事故を起こし、都議を辞職して滋賀県の禅寺に蟄居していた柿沢氏を、再度表舞台に連れ出したのは渡辺氏だった。ちょうどみんなの党を結党したばかりで、参加するメンバーが必要だったのかもしれない。柿沢氏の父の功治氏(故人)が、渡辺氏の父の美智雄氏(故人)の側近だった縁もある。
 そして09年にみんなの党が結党し、柿沢氏は同年の衆院選で初当選を果たした。チャーターメンバーの柿沢氏は、12年末まで260回も国会で質問に立っている。それは渡辺氏の「親心」でもあった。
 12年12月に行なわれた衆院選では、渡辺氏は柿沢氏の応援のため、東京15区に数回入っている。日の暮れた寒い東陽町駅前で、ダウンコートに首をすくめつつ、「今改革をするのはみんなの党しかいない!柿沢未途しかいない!」と絶叫する渡辺氏の姿が目撃されている。

 以上を考えるなら、柿沢氏が半年前までは少なくとも「渡辺チルドレン」であったことはたしかだ。ではどこから柿沢氏は渡辺氏にとって「敵」になったのか。

 週刊誌の報道によると、渡辺氏が柿沢氏を切ろうと決意した原因は、8月上旬に「渡辺喜美 立法事務費 公金の私物化」と題された怪文書だという。同怪文書は党の財務を私物化した渡辺氏が、選挙で自分の気に入った候補にカネをばらまく様子を描いている。たとえば、比例区で出馬した甥の美知太郎氏のために、愛知県選挙区から出馬した薬師寺道代氏に1,000万円支払い、法定ビラに美知太郎氏の名前を記載してもらうなど、公職選挙法違反に問われかねない内容だ。
 ところが同怪文書には、今年の連休に渡辺氏ら6名がドイツ・ベルギーに視察に出かけたことも書かれており、「2,000万円といわれる支出」があったと記載されている。だが、そのメンバーに柿沢氏も含まれており、柿沢氏が怪文書の「犯人」だとすると、自分が関与していることを暴露するとは考えにくい。

 実は、もっと深いところにその原因があったのだ。
 7月25日、参院選の総括のための両院議員総会が、参院議員会館内で開かれた。みんなの党は8名が当選したが、3年前の10名にはおよばなかった。衆院議員も含めて36名の所帯になり、「中堅政党」になったものの、党内では「もっと議席を獲れたはず」という雰囲気が漂っていた。
 このときの両院議員総会では、党内の雰囲気を察した江口克彦会長が「忌憚ない意見を言えるように」と配慮して、代表の渡辺氏と幹事長だった江田氏に席を外させている。
 その席で、柿沢氏は猛烈に松田公太氏批判を展開したと言われている。

「どうしてこんな候補を出した?」

 「こんな候補」とは、東京都選挙区の公認候補の桐島ローランド氏のことだった。桐島氏への批判は、そのまま桐島氏を候補に擁立した松田氏への批判である。
東京都選挙区は、07年当選の川田龍平氏と10年当選の松田氏がそれぞれ議席を持っていた。川田氏が健康を理由に比例に転出したために桐島氏を擁立したのだが、東京都はみんなの党にとって「勝つのが当然の選挙区」だったのである。
 ところが、川田氏が6年前に68万余りを獲得したのに、桐島氏が獲得した票は32万余りで、半分にもおよばなかった。6年前の川田氏は無所属で戦ったが、桐島氏はみんなの党が全力を挙げて応援したにも関わらず、である。
「最終日はみんな浴衣を着て、まるでお祭りのようだった。真剣さがないから当選しなかったんだ!」
 柿沢氏から厳しい言葉を何度も受けながら、松田氏は黙ってうつむくだけで、一言も反論しなかったという。

 同日、東京都議会では幹事長人事をめぐり、柿沢夫人の野上幸絵氏と松田氏の側近の上田令子氏らが対立。都議会みんなの党は2つに分裂している。
 こうして柿沢・松田の分裂は決定的になっていた。だがこれは、単なる議員同志の分裂にとどまらなかった。松田氏は渡辺氏の妻のまゆみ夫人の大のお気に入りだ。東京選挙区の公認候補の決定についても、旧知の松田氏がまずまゆみ夫人に桐島氏に紹介し、まゆみ夫人が日米のハーフでハンサムな桐島氏を気に入って、渡辺氏が擁立を決定したと言われている。
 すなわち、桐島批判はまゆみ夫人批判であり、柿沢氏は「虎の尾を踏んだ」と言える。しかも都議会の分裂騒動は、幹事長に就任したい幸絵夫人とそれに反対する松田グループが対立した結果だった。

 以上を見ると、柿沢氏が離党せざるを得なかったのは、まゆみ夫人と幸絵夫人がしゃしゃり出た結果としか思えない。古来より「雌鶏が時を告げると、天下は乱れる」と言うが、みんなの党はまさにその状態ではないか。

【永田 薫】


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