<ポル・ポト派の少年兵で戦う>
アキラ。この名前は、日本人名であるが、歴としたカンボジア人である。誕生日も定かでなく名前も不明であるアキラに日本人が命名してくれたそうだ。年齢は42歳、正確ではない。前号で触れたとおりに『ポル・ポト派』は国民の30%以上を虐殺したと言われる。わずか30年前の話だ。この国に行くと家族が虐殺された実例はいやと言うほど聞かされる。アキラ自身もまた家族全員が打殺された。周辺大国に侵略され続けた歴史を背負っている温厚な民族=クメール人が身内の30%を抹殺したという事実は、今となってはとても信じられない。
アキラは10歳を過ぎた頃から家族を殺戮したポル・ポト派の少年兵としてジャングル内で戦った。皮肉と言えば皮肉な話だ。彼は、カンボジア西部地区のジャングルにせっせと地雷を埋めた。ライフルの撃ち合いも経験したことであろう。15歳でベトナム軍の捕虜となり、今度はポル・ポト派討伐の尖兵の命を受けた。日本の戦国時代にも似たようなケースはあっただろう。アキラは20歳になろうとしていた。
ポル・ポト派が征伐されて国連の指導の下にカンボジアの復興が進められる国連平和維持軍に雇われ地雷撤去処理を始める。1997年以降は単独で地雷撤去や不発弾処理を続けてきた。本人としては「我が祖国に迷惑をかけてしまった」という後悔の念を抱き、「この悲惨な内戦の歴史を風化させてはいけない」という使命感が燃えてきたのであろう。単独でジャングルに行き、自活をしつつ地雷・不発弾の処理にあたってきた。『フリーの地雷撤去屋』の誕生である。処理し持ち帰ってきた数は5万8,000個におよんだ。1990年代の終わりにはアンコール・ワット近くに自宅兼『地雷博物館』をオープンさせた(資料参照)。
<11月4日に福岡へ>
アキラの孤独な地雷撤去活動に、国際的な支援の輪が広がってきた。カナダのNGO「CLMMRF」、オーストラリアの「ベトナム戦争退役軍人グループ」、アメリカ人のビルさんジルさん夫妻が作った「THELANNDMINE RELIEF FAND」が資金・技術面でアキラを支援している。新たに『アキラ地雷博物館』が設立された。視察に行った際には海外からも多くの人たちが訪れていた。日本人には岡山県出身の川広肇氏が専属通訳を担っていた。
アキラは28名の地雷処理部隊を組織している。カンボジア西部地区に残された地雷原の処理の要請があればこの部隊が直行する。1カ月の期間で処理を貫徹する。現場を目撃したが、20代の若者主体で構成されている。中核のメンバーは親を失くし、アキラの養子になった面々である。カンボジアにはまだまだ数多くの孤児が放置されているという。ところで国内には最大で1,200万個の地雷が埋設されていたそうだ。処理が進んだもののまだ510万個の未処理地雷が放置されている。毎年、減ったといえ被害は依然として発生している。
下記の案内通り、(財)カンボジア地雷撤去キャンペーン15周年記念式典・祝賀会が行なわれる。この式典にアキラは「カンボジア地雷撤去に命をかける」というタイトルで講演する。ぜひ、ご参加を訴える。
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・【11/4】地雷撤去に命をかけて15年~記念式典にて大谷賢二氏とAKIRA氏が講演
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