2024年04月20日( 土 )

「ビンタた」ミスすると殴り合う異常空間(中)~筑後リサイクル店殺人事件

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「顔がパンパンに腫れて誰だか分からなかった」

 死亡した元従業員男性と日高崇氏は2003年に被告人のリサイクル店で働き始め、同年12月下旬、中尾夫妻の住むアパートに住み込むようになった。証言に立った元従業員は、「部長から、やんちゃ坊主を預かっている、トイレに閉じ込めた、言うことを聞かないので殴ったと聞いた」と公判で話した。

img_situnai 日高氏ら2人も、ミスをするとお互い殴り合わされていた。公判で証言した元従業員は、事務所に呼ばれた時に目撃したことがあったとして、「部長が『2人で殴り合わんね』と言っていた」。部長というのは、中尾知佐被告人のことだ。夫の中尾伸也被告人は社長と呼ばれていた。
 「最初は殴り合わなかった。(殴り合うのが)嫌だったからだと思う。『さっさとせんね』と部長が言った。その後、社長が言ったと思います。『さっさとせんか』とか」。
 最初は殴り合う程度が軽かったようだが、「ちゃんと殴らんか」と言われ、強く殴ったという。やめさせてほしいと思ったが、「自分も怒られると思ったので、できなかった」。

 検察側は、中尾宅への住み込み開始以降、暴力が激化したとしている。
 証言した元従業員は、「家で掃除をさせたり、自分の靴下を洗わせたり、殴り合わせていると聞いた。仕事ができないからと、部長から電話で聞いた」と述べた。また、2004年春頃のある夜、中尾夫妻が住み込みをさせている日高氏ら2人を車でリサイクル店に連れてきたことがあったという。「顔が腫れあがって、青あざが全体的にあった。日高君と分からないくらいで、顔を見ただけでは(日高君だと判別)できず、体とか声とか服装で(日高君だと)思いました」。

 日高氏の交際相手だった元従業員は証言の中で、被告人らから中尾宅のアパートに呼ばれ、日高氏に会った時、「ビックリした。顔がパンパンに腫れていて、首から下が痩せていて、顔と体がアンバランスだと思った」と振り返った。帰る時に、日高氏が玄関まで送ってくれたが、「さっと歩けない感じで、ゆっくり立ち上がって、壁に手をかける感じだった」という。

「監禁されているように感じた」と遺族

 日高崇氏が中尾宅での住み込みを始めたのは、03年12月24日だった。母親が息子の姿を見た最後になった。
 証言に立った母親は、「朝4時に出ていくと言ったので、きょう(毎年食べている)クリスマスケーキを予約していたのに、食べていかないのかと思った」と振り返った。その後、時々電話やメールで話したり、中尾宅のアパート前に行き、「ここにいるんだな」と見上げたこともある。「崇に会って直接話をしたい」と被告人に願い出たが会わせてもらえなかったと話した。

 一方、知佐被告人から午後10時や午後11時に電話で、たびたびリサイクル店に呼び出されて、日高氏がパチンコや賭け事で697万円の借金をしたのを中尾夫妻が返済を肩代わりしたので返してほしいと言われ、数回に分けて被告人に全額支払ったと法廷で話した。「(崇が)監禁されているように感じた。身代金のように感じた。これを払わないと後悔する。命にも危険がある感じがなんとなくしていた」。

 04年6月2日、リサイクル店の事務所で、完済したその場で息子に電話で「お金を払ってしまったからね」と伝え、被告人らの前から走って離れてから「(社長らと)離れているから何でも言っていいよ」と言うと、日高氏は「大丈夫だよ」と答えたという。それが息子との最後の会話になった。

(つづく)
【山本 弘之】

 
(前)
(後)

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