2024年04月25日( 木 )

有森隆著『社長引責 破綻からV字回復の内幕』を読む(後)

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 企業の盛衰はトップで決まる。社長の力量と器によって企業再生に濃淡があらわれる。卓越した社長によって衰退のパターンから脱出した企業がある一方、足踏みを続けている企業も少なくない。その差はどこから生まれるのか。
 有森隆著『社長引責 破綻からV字回復の内幕』(さくら舎、本体価格1,500円)は、破綻寸前に陥った企業が、社長交代によっていかに再生に向かったかの内幕を描く。
 本書では、パナソニック、富士重工業、カルビー、ベネッセ(現・ベネッセホールディングス)、アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)、日本航空、塩野義製薬、西武(現・西武ホールディングス)、日立製作所の9社を取り上げている。いずれも経営が悪化し、地獄を見た企業である。
 筆者は、その中でも2人の経営者に注目した。アサヒビールにメインバンクの住友銀行(現・三井住友銀行)から派遣された村井勉氏と、深刻の経営危機に陥った日立製作所に子会社から呼び戻された川村隆氏である。

川村氏は「経営チーム」で改革に取り組む

book 川村隆氏は2009年4月、日立製作所の就任にあたって、会長の庄山悦彦氏に一つだけお願いした。緊急事態でもあり、経営のスピードが何よりも大事。「私が会長と社長を兼任し、素早く意思決定できるようにしたい」と要請して受け入れてもらった。
 川村氏は「ラストマン」の覚悟で社長を引き受けた。ラストマンとは、川村氏が30歳で日立工場の課長を務めていた時代、日立工場長の綿森力(のち日立製作所副社長)に教えられた言葉だ。
「この工場が沈むときが来たら、君たちは先に降りろ。それを見届けてからオレは、この窓を蹴破って降りる。それがラストマンだ」
 最後に責任を取る人。それがラストマン。川村氏はラストマンという言葉を胸に社長に就いた。そのころ、川村氏は「日立は倒産するかもしれない」と本気で考えていた。
 川村氏は、中西宏明氏、高橋直也氏、八丁地隆(はっちょうじ・たかし)氏、三好崇司(たかし)氏、森和廣氏の5人の執行役副社長、計6人で大きな方針を決めることにした。会議の参加者が10人を超えると、とたんに意思決定の速度が鈍り、組織が停滞するからだ。

 『現役復帰組は私のほか、元副社長でやはり子会社に転出していた中西宏明さんと三好崇司さん、八丁地隆さんも副社長として復帰することになった。私も含めて3人の復帰組の名前が「たかし」であり、「三たかし、波高し」という先行きを揶揄する記事が日経新聞に掲載された。(中略)私たち6人は血判状こそ取り交わさなかったが、「ぶれずにやるぞ」と互いの覚悟を誓いあった』(『私の履歴書』日本経済新聞15年5月1日~31日)

 川村氏は「100日プラン」に着手する。近づける事業と遠ざける事業の選別や公募増資、日立本体の各事業のもたれ合い体質の改善、そして次世代事業を社内外に示すことなど「やるべきことのリスト」を、4月から100日でまとめ、実行に移した。
 7月28日、上場子会社5社の完全子会社化を発表した。日立マクセル、日立プラントテクノロジー、日立情報システムズ、日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムエンジニアリングサービスの5社をTOB(株式公開買い付け)により完全子会社化する。川村氏が会長兼社長に就任してから119日目だった。
 子会社の自主独立を尊重してきた日立グループには晴天の霹靂だった。「過去の人たちを寄せ集めた」と揶揄された6人組による日立の構造改革がスタートした。
 川村氏の日立改革が成功したのは、子会社に飛ばされて本体とのしがらみがなかった6人で「経営チーム」を組んだことにある。経営改革の理に適ったものだった。

(了)
【経済評論家 秋月 太郎】

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