2024年04月20日( 土 )

新生サンリブ発足(中)~しがらみを断ち切る

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 サンリブとマルショク合併により、新生サンリブが発足した。単純合計の売上高は2,080億円とマックスバリュ九州の1,742億円を上回り、九州首位の食品スーパーに躍り出る。合併は1998年、グループ再編で2社体制が発足して以来の悲願だった。だが、実態は熊本地震で経営が悪化し自力再建が困難になったマルショクのサンリブによる救済合併。グループ再編以来の宿願を実現したとはいえ、老朽不採算店の多いマルショクを抱え込むことは新生サンリブに経営上のリスクになる。経営陣のかじ取りが注目される。

立ちはだかる難問

 合併が難しかった原因の一つに、個人株主と役員OBの存在がある。サンリブ・マルショクともそれぞれ200人を超える個人株主がおり、マルショクだと2016年2月期末で250人近かった。マルショクの16年2月期末の株主構成は、株を相互に持ち合うサンリブが17.95%で筆頭株主、2位が社員持株会16.07%、3位が関係会社の関門食品13.07%、4位が役員持株会5.00%で、残り48%弱を個人株主が占めていた。両社とも金融機関や取引先には一切持たせておらず、身内だけで固めていた。
 非上場なのに個人株主が多いのは創業の経緯による。両社は山口県と大分県の漬物店店主6人が協業で始めた食料品店が前身で、この時公平を期すため、社長は年齢順に任期4年、交代で就任するという取り決めをした。またこの時いち早く社員持株制度を取り入れ、地域分社を設立するたびに社員に株を分け与えた。

 ところが、歴史を経るうちに株式が相続や譲渡で子孫に受け継がれ分散化していく。非上場企業では保有者が会社を辞めると会社側が保有株を買い戻すことを定めているが、当時はそんなルールがなく、恐らく株が分散化していくことなど考えもしなかったのだろう。後年、少額株主の整理をしたくとも、創業一族やOBへの遠慮で実行できなかったと思われる。
 OB株主は経営に陰に陽に影響力を発揮してきた。寿屋との九州大連合構想では反対の先頭に立ち、撤回に大きな役割を果たしたと言われる。
 社長任期を2期4年、原則64歳まで、株主総会時に64歳の場合は1年のみ延長とする取り決めが内規として受け継がれ、結果として禍根を残すことになった。サラリーマン経営者は先の見えた短い任期を無難に全うすることを考え、不採算店の大量閉鎖など思い切った改革に手を付けようとしない。問題先送りの最たる例が2社合併だった。
 体力気力の充実した60代前半で退職した役員OBは、退任後もご意見番のような役割を果たしてきた。経営陣にとって自分たちを引き上げてくれた恩義がある先輩であり、助言や提言を無視するわけにはいかない。任期2期4年、64歳までという内規を改めようとしてもOB株主の抵抗でできなかったに違いない。

 そんな風土に風穴を開け、グループのひきずってきたしがらみを断ち切ったのが12年56歳で就任した佐藤秀晴社長だ。寿屋問題で退任した中村照夫社長の後の3代のトップが成し得なかった合併を実現にこぎ着けたのである。

評価高まる佐藤社長

 今回の合併にこぎ着けるまでには、寿屋との合併破談のテツを踏まないために周到な準備を重ねたようだ。関係者によると、昨秋から役員・幹部社員を動員して約250人いるマルショクの個人株主(大半はサンリブの株主でもある)の説得に当たらせた。うるさ型の多いOB株主には役員が直接交渉に当たったという。
 合併は2段階に分けて行い、まずサンリブがマルショク株を買い上げて昨年12月12日付で完全子会社化し、今年9月1日に吸収合併した。いきなり合併すると、合併比率やマルショク役員の処遇など複雑な問題が一度にのしかかり事務処理にも手間を取られるためとみられる。
 OB株主も、熊本地震で被害を受けたマルショクの再建には合併以外に手段はないという経営陣の主張に異論があるはずがなかった。昨年12月12日のマルショク臨時株主総会では、マルショク出身で4年余り務めた紀伊正彦社長(58)が退任し、後任をサンリブの佐藤秀晴社長が兼務することを決め、サンリブ主導の再建を明確にした。

 歴代トップが成し遂げられなかった合併を実現した佐藤氏は1955年10月生まれ。福岡大卒後、北九州丸食(現サンリブ)に入社した生え抜きで、12年5月に55歳で常務から2階級特進で社長に就任した。年功序列の風土が残り、60歳を超えてからトップに就く人事が慣習化していたなかで異例の若さだった。既に3期目に入り、内規に従えばグループの歴史では最長の4期8年も視野に入ってきた。

(つづく)

 
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