2024年04月20日( 土 )

中小企業は日本経済社会のエンジンである!(2)

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明星大学経済学部教授・一橋大学名誉教授 関 満博 氏

未来が見えている中小企業は成功する

 ――成功している中小企業はどのような特徴があるのでしょうか。

 関 一言でいえば、「経営者に未来が見えている」中小企業は成功しています。大企業でもそうですが、私は中小企業の経営者にとって、最も大事なことは「歴史観」だと思っています。経営者は歴史の大きな流れをしっかり読んで、今はどの状態にあるかを認識することが必要です。このことは、大学院のMBAコース・MOTコースや銀行など金融機関が主催する各種セミナーでは教えてくれません。

 私が全国で主宰している経営者や後継者を対象とする塾では、財務管理・人事管理などの管理論は一切教えていません。軽視しているわけではなく、それは参考書を読んで自分で一生懸命勉強すれば身につくものだからです。その代わりに、私は常に塾生に「現在の歴史的状況を受け止められる感受性を身につけなさい」と教えています。経営者は未来を見て意志決定できなければいけません。そして、これは幸いなことに、組織論で固まっている大企業より、中小企業のほうがやりやすいのです。

 経営者としての心の持ち方、すなわち「中小企業経営者としての覚悟」を問いかけ続けているのです。幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる、山口県の吉田松陰の「松下村塾」や西郷隆盛が学んだことで有名な薩摩「郷中塾」などで教えていたのも「歴史観」「世界観」だったのではないでしょうか。

最先端と最後尾には、思いと熱がある

 そのために、彼・彼女らに最先端と最後尾の現場を見せることにしています。私の守備範囲である製造業で、日本・中国・東アジアでいえば、今最先端は中国の「深圳」であり、最後尾は「ミャンマー」です。事業というものは人がやることです。そこには「思い」と「熱」が溢れていないといけません。最先端と最後尾の現場にはそれがあります。

 現在の日本は最先端でも最後尾でもなく真ん中に位置しています。1985年までの現場では、技術革新の成果が中小企業にまでおよび、若い経営者たちは、借金をしながら先鋭的な工作機械、金属加工機を導入しました。そして、顔を真っ赤にして、汗をかきながら「未来」を語ってくれたものです。しかし、プラザ合意の1985年から92年のバブル経済崩壊までの「けん噪の7年」とでもいうべき時期を境に、日本の中小企業の現場はまったく違った国のようになりました。あれ以来、現在に至るまで、「未来」を語る経営者に出会うことはほとんどありません。

20年以上前からミャンマーに注目する

 最先端と最後尾の現場を見ることで、時代の流れを、立体的に構築、把握することが可能となります。私は東アジアでは、これまで中国を軸にしてきましたが、今は最後のフロンティアであるミャンマーに注目、足しげく通っています。これから、30年後、50年後に中小企業で起こることがミャンマーを見ることで占えます。
 日本や中国がそうであったように、すぐにハイテクになるという意味ではありませんが、最後尾は最先端に一番変わりやすいのです。社会構造的にも、最先端と最後尾は表裏の関係にあります。

 実は、私は軍事政権時代の約20年以上前からミャンマーに注目していました。2011年の一橋大学退官を機に、12年からミャンマー入りを考えていたのです。ところが、2011年、当時研究調査に出向いていた釜石市(岩手県)で東日本大震災(2011年3月11日)に被災して、3日間の避難所生活を送りました。私はこの時、「この被災地の問題に徹底的に取り組まなければ、この分野で生きてきた自分の責任は全うできない」と強く感じ、ここ5年は被災地に通い続け、後世に残すために本を10冊書き上げました。

 復興の過程で、地域の産業や中小企業の重要性が多くの人に認識されました。産業や企業がなければ、人々はそこで暮らしていけない。そして、人がいなければ事業も起きない、ということです。これで終わったとは思いませんが、今年から約5年遅れて、本格的にミャンマーにとりかかるつもりです。

指揮を執る社長本人が現地に長期駐在

 ――中国や東アジアで成功している中小企業についても、少し触れていただけますか。

 関 中国や東アジアで成功する中小企業の条件として絶対に欠かせないのは、社長本人か息子、娘、娘婿、奥さんなど親族が現地に長期駐在して経営の指揮を執るということです。
 アパレルなどが典型ですが、日本の中小企業は、70年代、80年代に中国や東アジアに進出しました。当初は現地企業より日系企業の方が上です。しかし、5年、10年経つと現地企業が技術でも追いついてきます。そうすると、日本の中小企業の多くは途端に様子がおかしくなり、撤退してしまうのです。現地企業に勝つには、相当の気力が必要になるのですが、その「思い」や「熱」は日本にいる経営の指揮官には伝わりません。

 一方、台湾系や中国系の中小企業は多くの場合、経営の指揮を執る社長本人が現地に長期駐在しています。たとえば、中国に出て行った台湾系企業であれば、中国でうまくいかなくなれば、すぐに2次展開として、ごく自然にベトナム、ミャンマーなどへ向かいます。社長本人が自分の目で見て、意志決定しているので迷いはありません。この素早い動きに日系企業はまったく太刀打ちできません。現在日本人の着る服の93%はアジア製で、ミャンマーには約600の縫製工場がありますが、その内400は中国系で、日系は10数カ所しかありません。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
関 満博(せき・みつひろ)
1948年富山県生まれ。成城大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。東京都商工指導所、専修大学助教授、一橋大学教授などを経て、明星大学経済学部教授(2018年3月に退官)・一橋大学名誉教授。経済学博士。
著書は、『中山間地域の「買い物弱者」を支える』(新評論、2015年)、『東日本大震災と地域産業復興』Ⅰ~Ⅴ(新評論)、『「地方創生」時代の中小都市の挑戦』(新評論、2017年)、『北海道/地域産業と中小企業の未来』(新評論、2017年)、『日本の中小企業 少子高齢化時代の起業・経営・承継』(中公新書、2017年)など130冊におよぶ。授賞歴として第9回(1984年)中小企業研究奨励賞特賞(『地域経済と地場産業』)、第34回(1994年)エコノミスト賞(『フルセット型産業構造を超えて』)、第19回(1997年)サントリー学芸賞(『空洞化を超えて』)など がある。

 
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