2024年04月21日( 日 )

シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~シシリーでの子育て経験(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 さらに日本と異なる文化は、まず子どもをお風呂に入れる作業だ。日本であれば、湯船に親と赤ちゃんが入って一緒に楽しくコミュニケーションをする機会にもなるが、バスタブがあっても浴室がないこちらでは、一緒に入ることはまずない。乳児の間は、専用の大きなタライの中に入れて洗う。またトイレも大変だ。公衆トイレは便座がないところが多い。衛生的にも抵抗があるので、携帯用の便座シートもスーパーなどであらかじめ購入しておく。さらに、学校には日本のような体育場がないので、秋の体育祭などはないし、水泳用のプ-ルもない。体育の授業は週2時間あるが、ドッジボールや縄跳び、かけっこなどを小さな体育館、あるいは屋外のスペースで行う。これでは身体の成長もままならない、しっかりとした運動で鍛えなければ、とほとんどの親は午後、なにかしらの運動教室に通わせる。人気があるのは体操教室、空手、バスケット、サッカーなどだ。

 公立の学校では、必要な備品類はすべて各家庭から持参することが義務づけられている。トイレットペーパー、画用紙、色鉛筆、ハサミ、絵の具などだ。午前10時すぎには必ずおやつの時間がある。家庭によって子どもたちに持たせるものはそれぞれだが、チョコレートなどのお菓子もあれば、しっかりとしたサンドイッチをつくるところもある。公立学校では一般的に給食がない。小学校高学年や、中学生ともなると、学校は午後1時半から2時には終わる。それから自宅に帰っての昼食なので、こちらの昼食は午後2時過ぎになる。夕食も当然遅く午後8時半過ぎだ。

 働く母親たちは、一度仕事を終え、子どもたちを学校に迎えに行き、帰宅してから昼食の準備となるので、料理する時間はほとんどない。簡単なメニューにするか、あるいは祖父母にサポートしてもらうかだ。

 昼はパスタ、夜は肉、魚、野菜などが食卓に出る。お姑さんから料理を伝授されるのも伝統的習慣だ。たとえ同じ料理であったとしても、各家庭によって味が違う。そんなわけで、「生まれ育った家庭のママの味が一番」と思うイタリア男性は、いろいろと注文が多い。台所で横から、「塩が少ない」「焼き加減が足りない」「切り方が違う」などと口を挟む夫に対し、最初のころは片付けとお皿洗いに専念する決意をしたものだ。

 今は家事と仕事を両立しているので、すっかり義母にお世話になりっ放しだ。私は大変恵まれた環境で、義父母にすごくよくしてもらっていると思う。シシリーでも嫁姑問題は絶えない。親戚同士も頻繁に機会あるごとに、訪問しあい、集まったりするので付き合いが濃い。

 両親が日本にいるため、義父母は外国人の私に気を遣ってくれる。大変ありがたいことだ。同じイタリア人どうしの義母と義姉の関係はうまくいっていない。私のようにうまくいっているケースは珍しい方だ。姑が嫁に厳しいのは、どうやら世界共通のようだ。

 また母親として強く感じるのは、ここでは子どもに対して『持続性』を教えないことだ。日本人は“努力”という言葉が大好きな国民だと思う。一度始めたことは、多少つらくても我慢してあきらめずやり遂げる。日本でそういう教育をうけた私は、自分の子どもにもたくましく生きてほしいと願うため、厳しくなったりもする。だが、こちらのママは違う。雨が降ると学校を休ませる。子どもたちが1、2カ月で習い事に飽きてくると別の教室に変える。それも1年の間に何度も変える親がたくさんいる。重たい教科書の入った学校のリュックサックは、親が家から学校(時には教室)まで背負っていく。

 義父母は私を厳し過ぎる母親とみているだろう。極端に子どもに甘いこちらの親のしつけは、私にはいまだに合わない。また、ここでは自分の子どもを人前で思いっきり褒めまくる。これもなかなか日本人には見られない行動だ。たとえ心の中でそう思っていたとしても、日本人は実際に口に出していうことはあまりしないだろう。また学校の成績で誰が一番かもママ友同士でよく話題になる。

 子どもの誕生日パーティーも盛大である。小学校低学年のころは両親が同伴する場合もある。よって招待人数が50人を超える時もある。誕生日パーティーは大人になってからも行う。家族、友達同士で集まり、自宅で、あるいはレストランでピザなどを食べたりする。皆お祭り好きなのだ。なにしろ、1人でいることがありえないシシリー社会で、初めての出産、子育て、仕事、家庭と、家族の大きな協力を得てやり抜いている。

 ニュースでは不景気な中、仕事をクビになり、精神を病んでしまい自殺をする人がいると聞く。シシリーの太陽の輝きと美しい海の色が、人間の心のバランスに与える影響は大きい。イタリア国内でも月収最下位を争っているこの島は、人間味ある、心のゆとりがもてる島だ。日本を離れ、15年以上経ったが、最近この島に“守られている”ことを強く感じる。

(了)

<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。

 
(前)

関連記事