2024年04月20日( 土 )

目指すのは、「先生」ではなく親しみやすい建築事務所

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(株)R.E.D建築設計事務所

顧客の生の声を聞いてみたい 念願叶ったが、独立を決意

(株)R.E.D建築設計事務所 赤樫 幸治 代表

 「幼いころから、絵は得意だった」――そう語るのは、中学2年から5年間をロンドンで過ごした赤樫幸治代表である。ヨーロッパの建築物に興味があったのに加えて、日本を離れて初めてわかる、日本文化の良さ。それが建築学科に進むきっかけとなった。大学で建築を学び、大手ゼネコンへ。東京採用で現場監督を1年間経験し、2年目から本社の設計部に配属された。自ら希望した仕事ができる喜びと、同時に組織化された大企業の内情を知る。「自分が設計したマンションがどのようにユーザーに評価されているのか」。販売に携わらないために、顧客の生の声を聞くことができなかった。

 「やはり生の声を聞いてみたい。そして看板を外して、自分の力を試してみたい」――30歳のとき、大手ゼネコンを退職。知り合いの会社に移り、新生活が始まった。平日は設計、休日はマンション販売の営業。「自分が設計したものを売る」。願いは叶ったが、会社の方向性が変わり、独立することを決めた。

一からの出直し 恩人がピンチを救ってくれた

 知人と会社を立ち上げたが、半年間は給料なし。その後、舞い込んできた仕事は下請けの図面書きだけ。一からの出直しとなった。それでも、死に物狂いで仕事を続けた。会社は軌道に乗り生活も安定してきたが、安定はそう長くは続かなかった。リーマン・ショックで業界は冷え込み、仕事は減少。不安のなか、旧知の取引先に救われるかたちで、個人事業として再出発した。「極限状態でも乗り越えられたのは、今でも親交のある恩人のおかげ」と、厳しい局面を乗り切った当時を振り返る。その後は、コストとデザインのバランスに配慮した仕事が評判を呼び、紹介が増えていった。人員も拡大し、組織としての成長も続いている。

 「それまで主に扱っていた分譲マンションだけでは、波が大きい。他にも実績を築かねば」と、さまざまな交流の場へ足を運び始めた。紹介が紹介を呼び、今では10以上の案件を同時進行させるなど、多忙な毎日を送っている。

施主にとって身近な存在へ

 厄介な訳あり物件でも、まずは断らないことを方針として掲げる。新築物件を手がけるのはもちろんだが、増改築での難あり物件での、汗かき仕事もいとわない。「厄介な仕事ほど、将来の蓄積になる」と語る赤樫代表。その言葉には、「先生」と呼ばれるより、親しみやすい建築事務所でありたいという気持ちがにじみ出ている。

【東城 洋平】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:赤樫 幸治
所在地:福岡市早良区西新4-6-15 ル・リアン西新
設 立:2009年7月
TEL:092-852-1730
URL:http://www.redoak.co.jp

 

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