<第五章 谷本次期頭取誕生の軌跡>
協力者たちとの絆(16)
小池が支店長時代に次長として仕えた堀部正道は本店への出張の折、小池の自宅を訪ねたことがあった。酒を酌み交わしていくうちに、小池がぽつりと呟くように言った。「君も今は県外の支店長でいるからまだ良いかもしれんけど、いずれ県内の支店長に戻るようなことになれば、山上に十分注意したほうがいいよ」と言い、山上について語り出した。
「自分が小倉支店長の時、山上が保険料ローンを何件か持ち込んできた。業績の良い会社なら少しは目を瞑るが、いずれも業績が悪い会社の保険料ローンであった。資金繰りに厳しい会社に無理やり保険加入させ、掛け金を負担させるのは銀行員としての節度に欠けると思った。またその支払が負担となり倒産した場合、銀行が損失を被ることになる。山上が虎の威を借りるように、谷本頭取の名前を出して取り組みを迫って来たが、自分は取締役として取り上げるわけにはいかないので断った」と語った。小池は自分のプライドもあり、山上のせいで退任に追い込まれたとは言わなかったが、当時小池の退任は、山上の保険を断ったからだとの噂が行内に広まるほど、山上が維新銀行の役員人事にも口出しする存在となっていたのは事実であった。
数年後小池は肝臓癌を患い市内の病院に入院していたが、堀部が見舞いに訪れたその日の夜、容態が急変し不帰の人となった。
第14代の組合委員長は、谷本と同じS大学出身ではあったが、役員にはなれなかった。しかし先述した副委員長の沢谷が高卒初の取締役となり、書記長の川中隆史も取締役に引き立てられることになる。後の「谷野頭取罷免クーデター」の主役が沢谷であり、川中もそのメンバーの一人であった。
第15代の三役は全員取締役に任命された。委員長の大神剛は、山上の保険勧誘に協力的であったことや、谷本が首都圏本部長の不遇の時代に、東京事務所長として影で支えた功績から1996年6月に取締役となり、後に常務に昇格した。しかし大神は「頭取交代劇」の時には、既に取締役を退任して関連会社の社長となっていたため、クーデター劇の渦中に立たされることはなかった。副委員長の松木隆司は、山上の保険勧誘に協力。その上谷本の娘婿の弟に当たることもあり、2001年6月、沢谷に次ぐ高卒二人目の取締役となった。
書記長の大島俊之は京都のR大学出身で、書記長に推薦されたのは山上の保険勧誘に積極的に協力したからであった。1998年から審査部長を務めいた4年間、山上の保険料ローンを積極的に取り組んだ成果を認められ、2002年6月に取締役に選任された。「頭取交代劇」には、松木と大島の二人が、谷本相談役の指示を受けて、「谷野頭取罷免」のチャーターメンバーとなった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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