<第六章 谷本頭取の時代>
クーデター未遂事件(36)
笹川はいつも7時30分に専用車で自宅を出て、8時には維新銀行本店に到着するのを日課としていた。16日の月曜日は朝から小雨が降り、最低気温は7.3度と前日より4度以上も低く、寒さがぶり返したような空模様であった。
笹川は運転士に少し早く来るように手配していたので、ラッシュアワーに会うことなく7時30分過ぎには本店に到着した。笹川は箇条書きした内容を再度点検し、銀行の専用便箋に万年筆で清書し、いつでも植木頭取に提出できるように用意した。
笹川にとって首都圏本部に谷本を訪問した3月13日は魔の金曜日であった。谷本に任期途中の退任を承諾させるために行ったつもりが、反撃を受けて退任要請を撤回するだけでなく、今度は一転して次期頭取への就任を要請するというマッチポンプの役回りを演ずる羽目になり、笹川にとって夢想さえできなかったことが現実となった。
9時少し前に秘書室長が、「笹川常務、頭取殿がお呼びです」と、伝えに来た。笹川は箇条書きした便箋を内ポケットに入れて頭取室に入っていった。植木は応接室に深々と座り、女性秘書から出されたお茶をおいしそうに飲んでいた。笹川は、
「お早うございます。お体の方はいかがですか」
と声を掛けた。植木は、
「お早う。土曜日はお疲れのところご苦労だったね。ところで谷本君と交渉する内容について、できていれば見せてくれないか」
と、笹川の顔を見ながら言った。
笹川が、早速内ポケットから、例の箇条書きした便箋を差し出すと、植木は眼鏡を外し、一字一句を食い入るように見つめていた。笹川は、
「メモには個別の問題点はその都度協議するものとするとありましたが外しました。と言うのは植木頭取が谷本専務を次期頭取に後継指名するわけですから、なにも相談する必要はないと思います。植木頭取の指示に谷本専務は従うはずです。谷本専務の任期途中の退任に反対して賛同した役員も、谷本専務を頭取に昇格させれば、文句は言えないはずです。もしそれでも多数決で植木頭取を罷免するという、いわばクーデターを実行するような行動を取れば、谷本専務に誰もついて来なくなると思います」
と、言った。
植木も、
「僕もその点を考えていたんだ。途中二転三転したが、次期頭取に昇格することを認めるわけだから、文句を言える立場ではないと思う」
と言った。続けて植木は、
「うん、この案で良かろう。この案で谷本君と話をまとめて来てくれないか。それと昇格人事の件だが、杉村副頭取が健康上の理由から退任を申し出てきている。それと河辺君については当初の予定通り、維新リースの社長になってもらうことにする。従って2名退任するので、後任は新田大二郎君と松谷昭治君を考えている。その件については、また後日打ち合わせをすることにしよう。次に頭取となる谷本君を牽制する意味で、君と佐藤常務を専務に昇格させる予定だ。筆頭専務は君になってもらう。この件については誰にも話さないでくれたまえ」
と言って、笹川に谷本との交渉を急ぐように指示した。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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