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コダマの核心

企業・人、再生シリーズ(22)~壱岐の島を再生させる男・中原達夫氏((株)なかはら会長)(前)
コダマの核心
2013年12月 3日 11:35

<壱岐の島は豊かであった>
iki.jpg 博多港から西北西68kmに位置する壱岐の島は、豊かであった。3億年前の玄武岩に覆われている溶岩台地は、非常に安定している。それだけ古い地層で成立している島は、歴史が古い。人間が定着して2万年と言われる。古代は大陸と九州の交流の接点の場として、戦略的要地になっていた。気候も冬場の3カ月を除けば温暖な環境で、古代から居住者たちは長閑に豊かに生活を過ごすことが可能であった。
 とくに江戸時代には、壱岐の島は豊かであった。まずは水田できる耕地が広く確保できることに恵まれていたことだ。その他、陸地でさまざまな農産物が豊富にあった。加えること、海の幸が強力な財産になっていた。江戸時代中期の1700年代は、捕鯨業が最盛期であった。壱岐の島には、鯨分限者(金持ち)が十指下らないと言われている。江戸時代には、壱岐の島は平戸藩に属していた。藩主は松浦家にあたる。この松浦藩主の財政を支えていたのが、この壱岐の島の鯨分限者たちだった。年間十万両から二十万両を上納していたそうだ。

 豊かな納税(収奪されてではない)ができるということは、一般島民の生活にも潤いがあったということだ。江戸時代に、この壱岐の島で飢饉があったという記録はない。温暖な気候を背景に、食に事欠かなければ、人間は長閑な気質を持ち合せることになる。必死な努力からも回避する習性となるものだ。
 しかし、この極楽島にも近代化、現代化の波が襲ってきた。人口減と老齢化である。人口は3万人をきって現在、2万9,000人になった。

<電力王・松永安左エ門に薫陶>
 この愛する故郷・壱岐の島に対する危機状況を真剣に受け止めて活性化の道を築こうとしているのが、(株)なかはらの中原達夫会長である。なかはらの会社概況は次稿で触れるとするが、中原氏が尊敬する人物は電力王・松永安左エ門である。同氏によると、松永翁とは遠い親戚筋にあたる。松永翁には明治以来、壱岐の島出身では一番の傑物という評価を下されている。現在の日本における九電力体制を構築した最大の功労者は、松永翁である。だから後世、『電力王』と呼ばれるようになった。

 松永翁は東京に出て如何に多忙な日々を送っていても、我が故郷・壱岐の島のことを忘れることがなかった。いつでも「壱岐に役立つことはないか」と模索していたそうだ。中原氏はこの『故郷に役に立つ』という松永翁の姿勢に感動した。薫陶を受けたのである。「松永先生の偉業と比較すると、67歳になった我が身を振り返るとあまりにも恥ずかしい。一体、何をやってきたのかという反省しきりだ」と、中原氏はいたって謙虚だ。

 そこで今から郷土・壱岐の島のために貢献することは、『壱岐と博多の間を通勤・通学できる航路の開設』の実現させることだそうだ。要する時間は1時間10分。この時間限度内で航路が実現できれば、壱岐の島からの人口流出が食い止められるという読みがある。また、外からの流入が期待できる。ところが、ここの実現には行政の大きな壁が立ち塞がっているのだ。

(つづく)

≪ (21) | (23・後) ≫


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