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安倍政権1年の足跡を検証する(前)
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2014年1月10日 11:20

 2013年12月26日、安倍晋三首相は東京・九段北の靖国神社を参拝した。近隣諸国や米国からの反発や懸念の表明が相次ぐ一方で、インターネットを中心に、参拝を支持し、諸外国の批判を「内政干渉だ」と反発する声が高まっている。一方、特定秘密保護法の強行採決で急落した支持率を回復させるべく参拝に踏み切ったとの見方もある。同法は、治安立法の側面が強く、知る権利などへの懸念が根強い。さらに昨年実施された参院選では、ある宗教団体の存在が浮かび上がってきた。安倍政権1年の取組みを、3つの論点から検証してみた。

<靖国参拝を牽制してきた米国>
 「二度と戦争の惨禍によって人々が苦しむことがない時代を作るとの誓い、決意をお伝えするために、この日を選んだ」
 第2次安倍政権が発足して1年の節目である12月26日、安倍晋三首相は、靖国神社を参拝した。総理大臣の靖国神社への参拝は、2006年の終戦の日に当時の小泉純一郎首相が参拝して以降、7年4カ月ぶりとなる。安倍首相は、第一次安倍政権で靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極みだ」と語っていた。首相就任後、靖国神社の秋季例大祭の参拝を見送る一方で、内閣総理大臣として真榊を私費で奉納しており、国内外に参拝の意思があるメッセージを発し、参拝のタイミングをうかがっていたようだ。

靖国神社 安倍首相の靖国参拝直後から、中国・韓国、そして米国、ロシア、EU外交部、ユダヤ人団体に至るまでが、靖国参拝を批判する声明を発表した。ベトナムやインドネシアなど東南アジア諸国は中国・韓国と異なり、終戦後も残留した旧日本軍人が独立戦争にともに立ち上がり日本はフランスやオランダの圧政から解放してくれた経緯もあって、いたって冷静だ。
 「A級戦犯を合祀している靖国参拝は誤った歴史認識をあらわにし、北東アジアの安定と協力を傷つける時代錯誤的行為」(韓国政府報道官声明)と事あるごとに日本を非難する中韓両国はいつものことであるが、「同盟国」である米国の「失望した」との表明には、日本政府も国民も少なからずとまどい、インターネットでは反発の声が上がっている。昨年、10月に来日したケリー国務長官、ヘーゲル国防長官がそろって千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花したのは、靖国参拝への牽制が込められたものだといわれている。米国にとって、靖国参拝は東京裁判(極東国際軍事裁判)の否定につながり、対米自立を志向する動きだと受け止められているからだ。

 国家を代表する首相が、国のために戦死した人を祀る慰霊施設に参拝し、哀悼の誠を奉げることは、そのこと自体、外国からとやかく言われる筋合いはない。記者は上京すると滞在中、時間を取って必ず靖国神社に参拝している。身近な縁故では母方の祖父の兄も靖国神社に祀られており、曾祖母が亡くなる直前まで「いっぺんでいいから靖国にお参りしたい」と口にしていたことを祖父から聞かされた。そのこともあって、よりよい日本にするためしっかり頑張りますとの思いで、毎回手を合わせている。

<維新の功労者・西郷隆盛を合祀しない矛盾>
 靖国神社の由来は、明治維新時(戊辰戦争)に戦死した兵士を1869(明治2)年に創建された「東京招魂社」に始まる。現在の靖国神社の名称となったのは、1879年。「国を靖んずる」との意味で明治天皇が命名した。大東亜戦争のほか、日清・日露戦争での戦死者や吉田松陰や坂本竜馬など幕末の志士も含めた240万余柱が祀られている。

 では、靖国神社参拝がなぜ問題となってきたのか。やはり東条英機元首相など当時の戦争指導者も合祀されていることにある。逆に、戊辰戦争で薩長軍と戦った旧幕府軍の会津藩や新撰組、西南戦争で政府に反旗を翻した維新の功労者西郷隆盛は、本殿に合祀されていない。地下鉄の九段下駅に降りて靖国神社の鳥居をくぐると、日本陸軍の近代化に携わった長州出身の大村益次郎の銅像が立っている。その視線の先には、彰義隊がたてこもった上野の山がある。そのため、一部では「長州神社」と揶揄する声があることは事実だ。安倍首相はいうまでもなく、山口県、かつての長州藩の出身である。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるが、靖国神社は、明治維新の権力闘争が反映された神社であると客観的、公平にみていえるのではないだろうか。

 会津藩も京都守護職として治安維持につとめ、藩主松平容保に対する孝明天皇の信任が厚かった。状況が違えば、会津藩が官軍で、薩摩・長州が賊軍となり、立場は逆転していただろう。薩長方も、旧幕府軍どちらも国を思い戦って命を落としたことには違いはない。戦いが終われば敵味方関係なく日本国民ではないのか。旧幕府側でも維新後、政府高官や自治体幹部に就任した人物は少なくない。勝海舟や榎本武揚が代表例だ。昨年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重の兄である山本覚馬は、鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の囚われの身となったが、その開明的見識を買われて京都府のアドバイザーとして任用され、その後京都府議会議長も務めている。生き残った旧幕府側の一部は政府の一員となったが、戦死した旧幕府軍兵士は誰一人として本殿に合祀されていない。あくまで賊軍扱いなのだ。若者も子供も戦って倒れ、故郷が焼け野原にされた会津藩の、福島の人々の思いのなかに、いつまでも恩讐にとらわれていてはいけないというきれいごとでは、済まされない感情があることは、やはり思いを致すべきではないだろうか。

<支持率回復のための参拝?>
 近隣諸国や戦勝国である米国やロシアの外交的思惑があるなかでの「A級戦犯」批判、分祀論は承服できないにしても、政府内の権力闘争が、欧米列強による植民地支配から日本を守るという明治維新の理念を捻じ曲げ、日清日露で慢心し、欧米の真似をして大陸へ進攻。挙句に泥沼にはまりこみ、1945(昭和20)年8月15日の敗戦に至ったことは、明らかだ。日本側の理由はどうあれ、軍事侵攻された中国や、併合された韓国が日本に反発するのは、その立場としては理解できる。
 もちろん、当時の帝国主義競争の国際情勢のなかで、日本一国の考えだけで戦争が行なわれたわけではない。ロシア、ソ連の南進政策のなか、満州・朝鮮半島が奪われれば日本の安全保障は危機に陥るとの懸念があった。真珠湾攻撃に至った石油輸出禁止やハルノートにみられる対日挑発は、参戦に否定的な国内世論を転換させるために日本から仕掛けさせたい米国政府中枢の思惑があったといわれている。民間人を虐殺した無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍による女性への凌辱行為など戦時国際法違反で許されるものではない。赤紙の召集令状一枚で、国家の命令として戦場に赴いた人たちの胸には、戦うことは、故郷の父や母、兄弟、妻や我が子を守ることだとの思いがあった。

 ところで、各種世論調査をみると靖国神社参拝後、特定秘密保護法の強行採決で下がっていた支持率が再び上昇している。参拝のタイミングをみていたのは、その思惑があったのか。まさか、低下した支持率の回復をもくろんで参拝したなどではないと信じたい。昭和10年代とはまた違う形で、中国との緊張関係など東アジアが不安定にあるなか、果たして二度と戦争の惨禍を繰り返さないという安倍首相の決意は守られるだろうか。

(つづく)
【八女 瞳】

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