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「断行せよ 信念の前に不可能なし」~四島一二三伝(27)
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2014年1月 7日 07:00

 今に語り継がれる四島一二三の「お客様行脚」は1950(昭和25)年に始まり、同53年から本格化したようだ。おおむね70歳から、自力で歩けなくなる90歳過ぎまで続けている。
 1960年代の最盛期には、1年で平均1,300軒以上の顧客を廻った。最初は重役が同行していたが、やがて運転手との二人連れとなっていく。

 お引き立てていただいたお客さまに会って直接御礼を言い、お客さまから会社に対しての希望や意見を聞いてお役に立とう。それが訪問開始の動機だった。
 しかし、訪問先は必ず「初めて」でなければならない。一人でも多くのお客さまに会えるよう、重複は避けてくれという一二三からの注文がついた。
 このため、訪問を受け入れる各支店では「社長(後に会長)が訪問するに相応しい顧客」を常に開拓し続けなければならない。これは各支店、とくに支店長にとっては大変なプレッシャーだったようだ。

 訪問先で出された茶菓を一二三は必ず残さずいただいた。このため腹を壊すこともたびたびだったようで、支店訪問から帰ると秘書から本社食堂の調理員にお粥の注文が来た。
 このエピソードからも、明治人・四島一二三の人柄がうかがえる。
 そして、一二三は仕事に関しては非常に厳しい経営者だったが、従業員に対して分け隔てなく丁寧な接し方を貫いた。食堂のスタッフであろうが、新入社員であろうが必ず「さん」付けで呼びかけ、「君」付けや呼び捨てにすることは決してなかった。

tea2.jpg こんなエピソードがある。ある大口の預金者ともめたことがあり、紹介者への融資に難色を示す融資課長との面談中、怒ったその大口預金者が女子事務員の出したお茶をひっくり返し、隣接した社長の部屋に直談判に行った。
 叱責を覚悟した融資課長に対し、面談を終えた一二三が出てきて柔和な笑顔でこう語りかけた。
 「嫌な思いをさせたな。聞くとお茶をひっくり返して来たと言った。本来、社長が汲むべきものを、女子事務員さんが私に代わって出したお茶が飲めないなら、社長のお茶が飲めないことになる。預金は全部引き出されて結構。お引き取りを。と言ったら、慌てて帰りましたよ」そして、審査部全員に聞こえるような声でこう続けた。「私は君(課長)のような人が、銀行を守ってくれると思います」と。

 結局1カ月ほどしてその顧客が再訪し非礼を詫び、取引は継続したそうだが、この出来事は課長を深く感激させ、その脳裏に刻み込まれた。また、お茶を出した女子事務員も同様だったろう。「あなたが出すお茶は、社長の私に代わってお客さまにお出ししているものだ」。社長のその思いは、この行員の仕事へのモラルを大きく向上させたに違いない。

 こういう考えがベースにあるから、それがたとえ地方の小さな取引先であっても、もてなしは心からの感謝をもっていただこう。そう一二三は考えたのであろう。1人の人間と人間は対等である。相手には礼をもって尽くせ。明治の時代に生まれ、若くしてアメリカ社会で鍛えられ、そしてゼロから会社を興した一二三が体験から得た「生き方」だ。
「名声、金銭、生命に執着してはいけない。ただし、職務には徹頭徹尾、死に至るまで執着せよ」。老年に入って一二三がよく口にしていた言葉である。

 話をさかのぼる。子息の四島司氏は、一二三の勧めで入学した福岡商業(現・福翔高校)から自分の意志で筑紫中学(現・筑紫丘高校)に転校し、慶應大学に進んだ。この間胸膜炎で1年間入院したことは以前記した通りである。
 1945(昭和20)年に招集されるが、終戦後大学に戻り、卒業後繊維会社に就職。「都会で自由きままに暮らしたい」と、福岡に戻る気はなかったそうである。
 また卒業・就職とほぼ同時期の49年、妻の三千代さんと結婚している。まだ在学中のことで、両親にも知らせていなかった。貯めていた仕送りや給料で世田谷にマイホームも建てた。
 この家に、当時の福岡無尽の役員たちが上京した際、旅館代わりによく宿泊するようになる。出張旅費を浮かすため、入れ替わり立ち替わりやってくる。やがて、ある役員から「福岡に帰ってきてほしい」と懇願された。

 一二三は大蔵省嫌いで上京したことはなかった。年齢も70歳になり、その将来を心配した役員たちが口説きにかかったようだ。
 比較的自由に育てられた司氏は、学生時代から一二三に反発を感じ、衝突することも少なくなかった。最初は断ったが、頼み込まれ福岡に戻り入社した。福岡相互銀行として新たなスタートを切った1951(昭和26)年のこと。司は26歳だった。
 そこで司がまず感じたのは、「父に遠慮して意見を言わない行員が多い。個人商店がそのまま大きくなったようで、企業としての体裁をなしていない。このままではダメだ」ということだった。

(つづく)
【坂本 晴一郎】

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