2024年04月20日( 土 )

哲学とは「人生論」のことではありません!(5)

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玉川大学文学部人間学科教授 岡本 裕一朗 氏

ポスト資本主義のイメージはまだ描かれてない

 ――先生は本書で、IT革命、BT革命と並んで、資本主義、宗教などに関しても言及されています。

 岡本 今日では政治学者のフランシス・フクヤマのように資本主義の千年王国を信じる人は少なくなりました。それにもかかわらず、今のところ、ポスト資本主義の明確なイメージはまだ描かれていません。資本主義はのりこえるべきもの、のりこえ可能なものなのでしょうか。いずれにしてもこの問題が21世紀の中心に位置する状況に変わりはありません。2013年に出版され話題になりましたトマ・ビケティの『21世紀の資本』も、資本主義が今後も存続することが前提で、「格差是正」のために累進課税が必要というわけです。

重要なことは、各人が十分に持つことである

 しかし、そもそも資本主義の自由な経済活動を根本とする限り、格差は必然的に発生するはずです。それなのに、どうして格差を是正すべきなのでしょうか。格差は本当に悪なのでしょうか。アメリカの哲学者のハリー・フランクファート(プリンストン大学名誉教授)は「格差解消」といった世間の平等主義的感情を逆なでするように、きっぱりと次のように明言します。

 経済的な平等は、それ自体としては、とくに道徳的に重要なものではない。同様に、経済的不平等(格差)も、それ自体では、道徳的に反論されるものではない。道徳の観点から言えば、誰もが同じものを持つことは重要なことではない。道徳的に重要なことは、各人が十分に持つことである。もし、誰もが十分なおカネをもつならば、誰かが他の人々より多くもつかは、とくに考慮すべき関心ごとにはならない。

『不平等(格差)について』(2015年)

 こうした考えを、フランクファートは「平等主義」に対して、「十分性の学説(十分主義)」と呼んでいます。つまり、道徳的に重要なことは、格差ではなく「貧困」というわけです。「格差是正」が叫ばれている今、貴重な視点を提供してくれています。

「世界の脱魔術化」という表現で規定しました

玉川大学文学部人間学科教授 岡本 裕一朗 氏

 宗教に関して言えば、およそ100年前、ドイツの高名な社会学者マックス・ウェーバーは、西洋近代を合理化の過程と理解し、「世界の脱魔術化」という表現で規定しました。実際に、近代になると、西洋では宗教的権威から独立した世俗的な国家が形成され、資本主義経済が社会的に浸透したのです。また、啓蒙精神に基づいて、宗教的な偏見が取り除かれ、近代科学が発展したことは今や常識になっています。そのため、この傾向が続いていけば、やがて宗教の力は弱体化すると考えられていました。20世紀には西洋近代を「世俗化の時代」と見なすことが一般的になりました。確かに、ヨーロッパではキリスト教の果たす役割が低下しているのは明らかです。

 ところが、21世紀を迎えるころから、こうした世俗化の状況が世界的に転換し始めました。南米やアフリカでは、宗教を信仰する人々が増加しつつあります。また、ヨーロッパでも、キリスト教信者の割合が低下したとはいえ、逆にイスラム教信者は増えています。アメリカでも、主流派プロテスタントは減少していますが、原理主義的な福音派はむしろ増加傾向にあります。ソヴィエト連邦崩壊後は、ロシア正教が復活し、民衆の間に浸透しています。今世界では、ポスト「世俗化の時代」すなわち「世界の再魔術化」が起こっているのです。

以前の世俗化論が誤りであることを明確に宣言

 「近代」派の哲学者と見なされ、その哲学には宗教的要素が介入する余地はないと思われていたドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマス(フランクフルト大学元教授)は、21世紀になると大きく転回し、宗教との対話を推し進めていくことになります。

 2004年にハーバマスはキリスト教神学者ヨーゼフ・ラッツィンガー(その後第265代ローマ教皇ベネディクト16世に就任)と対話を行い翌年に共著『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』を出版しました。また、「世俗化論」の変化という点で言えば、アメリカの社会学者ピーター・バーガー(ボストン大学名誉教授)は1999年に論集『世界の脱世俗化―復活する宗教と世界政治』を編集、その巻頭論文において、以前の「世俗化論」が誤りであることを明確に宣言しています。アメリカやヨーロッパだけでなく、世界全体のグローバルな視点から、バーガーは宗教的原理主義のような脱世俗化の運動が起こっていると見なしています。

哲学は「驚き」と「疑い」から始まるのです

 ――時間になりました。最後に読者にメッセージをいただけますか。これから、私たちはどのようにして日常的に哲学と付き合っていけばよろしいのでしょうか。

 岡本 哲学はギリシャ時代には「驚きから始まる」と言われ、近代に入ると「疑いから始まる」と言われました。本日お話したことが世界の哲学者の視点の全てというわけではもちろんありません。重要なことは、「定番」と異なる視点、「自分の考えていること」と異なる視点を広い視野と長いスパンで受け入れることができるかどうかという点です。読者の皆さんには、そうした多様性の事実をまずは知って頂きたいと思っています。

 哲学は何千年前の昔からこの姿勢を貫いています。現代人の多くは、長い間、この疑問を持たずに、場合によっては持つことを意識的に避けてきたきらいがあります。しかし、今数世紀単位の「歴史的転換」に対峙して、多くの人に、少しずつ「これでいいのかな?」と思う気持ちが生まれてきています。その気持ちを大事にして欲しいと感じています。

 私は「哲学は現代に生きる人々(同時代人)にとって必須である」と考えています。それは、学生であれ、社会人であれ、すべての人にとって、現代がどのような時代なのか、どこへ向かって進んでいるのかは、コモンセンス(共有知)として知っておく必要があるからです。読者の皆さんの明日に、本日のお話が少しでもお役に立てれば幸いです。

 ――本日はお忙しい中、お時間を賜りありがとうございました。

(了)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
 1954年福岡生まれ。九州大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。九州大学文学部助手を経て、現在は玉川大学文学部人間学科教授。西洋の近現代思想を専門とするが、興味関心は幅広く、領域横断的な研究をしている。
 著書として『フランス現代思想史―構造主義からデリダ以後へ』(中公新書)、『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』、『12歳からの現代思想』(以上、ちくま新書)、『モノ・サピエンスー物質化・単一化していく人類』(光文社新書)、『ネオ・プラグマティズムとは何か―ボスト分析哲学の新展開』、『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』、『ポストモダンの思想的根拠―9.11と管理社会』、『異議あり!生命・環境倫理学』(以上、ナカニシヤ出版)、『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)など多数。

 
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